ヘヴンの入口

 

川上未映子「ヘヴン」/コジマは、ひとつめの絵のまえに来ると、「僕」の顔をパッと見た。それから急にけわしい顔になり、しばらく黙って絵を見たかと思うと、さっと次の絵に移動した。そこにあるのは不思議な絵ばかりだった…。

心の聖域

 

川上未映子「ヘヴン」/コジマは「僕」に「一番好きな絵、ヘヴン」を説明する。著者は特定していないが、シャガールの絵だと思う。上のカップル像、シャガール夫妻の結婚を記念して描かれた「誕生日」(1915年)か。コジマが「僕」に示した気持ちは、切迫している。心の奥の聖域を開き、まさに他者を招き入れている。「僕」は、ただ絵に、そしてコジマが絵に託した想いに圧倒され、茫然としている。とても危険に満ちた異様な時間…。

シャガール、独白する



川上未映子著「ヘヴン」/上のシーンは私の創作。シャガールの本を調べると、彼は、反ユダヤ主義が吹き荒れた時代のロシア出身。ナチスにも迫害された。一方、ユダヤ教徒内で、彼は浮いていた。同宗教は、聖書の言葉を崇拝しており、図像表現は神の冒涜とされた。親族は画家という職業に理解がなかった。シャガールは、ユダヤゆえ内外から疎外されつつ、ユダヤの流浪人として、すべての感情を絵にそそぎ込んだ。後年、聖書の物語をモチーフにした作品を描く。彼にとって、絵が言葉のそのものだったのだ。だからコジマや「僕」の心にシャガールの絵が深く共鳴する。

絵の奥に広がる天空

 

川上未映子「ヘヴン」/コジマが泣いたのは、絵の激情に翻弄され、心底孤独になったからか。そんな彼女を見て、「僕」は直感で適切な行動をとる。髪という「自分」を、刻ませることを。それは、不安な世界に生きるコジマを受け止めること、「標準」になることだ。二人は、絵の奥にある「ヘブン」に辿りつけるのか。

僕は死んでいるのかもしれない…

 

川上未映子著「ヘヴン」/夏休みは、学校でのいじめ生活を一端中断してくれる。その分、「僕」は自分を見つめ、内向していく。休みはやがて終り、確実に地獄が始まるだろう。問題は何も解決していない。不安の中で、自分の存在価値が揺らぐ。「僕」は問う。そもそも、なぜ加害する二ノ宮たちがこわいのか、その暴力が恐怖だとしたらなぜ「僕」のちからで変えることができないのか、こわいとはなにか…。答えのない問いを続けることで、「僕」は生の世界に、懸命に踏みとどまってる…。

暑く、ユーウツな黒い並木道

 

川上未映子「ヘヴン」/苛烈に暑い夏休みの向こうにあるいじめの日常が、「僕」を押しつぶそうとする。その中でコジマは、唯一共感できる存在。しかし「僕」は、まだ自力で共感者の元にたどり着けないほど弱い。なんと憂鬱でえんえんと続く並木道…。やっと目の前にしたコジマの表札が「墓」に見えたことが印象的。少なくとも「僕」は、彼女の家庭の不幸を直感したのだ。

血を流す茶碗

 

川上未映子「ヘヴン」/「僕」はコジマの信頼を得て、彼女の世界に入っていく。やはり、「家族」という岩盤が崩れていた。父親はがむしゃらに働くが、生活を築けない人。母親は「貧乏」という窮乏に耐ええない人。かみ合わぬ夫婦の歯車が不調和にきしみ、壊れた。「平和な家庭」の象徴たる茶碗は、異常な軌道にそれ、絆を攻撃する凶器と化した。そして思春期のコジマは、必要とする拠り所を失い、自分の根っこを引き倒すような不安につつまれている。

黒い太陽

 

川上未映子「へヴン」亜30秒まばたきしないで太陽を直視すると、願い事が一つ叶うというおまじない。小学生のコジマは、「目が見えなくなってもいい」との悲壮感を持って、母親を取り戻そうとする。全身全霊の思いは白光し、太陽は黒い球となった。そしてコジマの前に立ち現われたのは、家庭を持ちこたえられなかった「母親」の残骸。絆の崩壊劇は、自己の存在基盤をつき崩す。

不調和の風が吹きすさぶ

 

川上未映子「ヘヴン」院寝箸経済的にきつくても、子供は愛情に満ちた家庭環境なら、結構楽しく生きていけるものだ。しかし、コジマの不幸は、母親はより物質的で、父親はより精神的で、つまり価値観が合わなかったことだ。だからコジマは、母親が行ってしまった「金のある生活」、「俗的な価値観」に対して、激しい敵意を募らせる。不調和の冷たい風が、思春期の鋭敏な心を吹き抜け、心をさいなむ。生きる土台がぐらつき、「神」という言葉が浮かぶ。

意味

 

川上未映子「ヘヴン」押真佑砲論犬る意味が必要だ。しかし不条理な世は、時に、そのかけがえのない、ささやかな意味を否定してしまう。だから、コジマが願うような「見せかけの嘘や悪を見抜いて、ちゃんとわたしたのことをわかってくれる神」を、絶対者を、人は求めるのか。ただ、コジマには「自分は誠実に生きている」という確信があることを感じる。

<< | 2/11PAGES | >>

このサイト内を検索

携帯ページ

qrcode