ウで。

 

2020年東京オリンピックのマスコットキャラクターの3案を、

全国の小学生による投票で決めるとのこと。

ア・イ・ウ案を見たが、自分ならウ案だなと思う。

ネコみたいだがキツネだそうだ。

 

ラジオに出ていた中村メイコもウ案を支持していた。

ただ、気合が入り過ぎたのかどの案も

全体的に線数が多くて複雑すぎると言う。

その意見には同感。

複雑だと、マネしづらく覚えにくい。

 

成功しているキャラクター、

例えばキティちゃんやくまモンにしても

シンプルこの上ない。

 

まあ東京オリンピックは、

二週間の狂乱で終わるわけで、

そのキャラクターは記憶に残らないでよいものであるが。


映画鍋

 

南京事件についての映画を2本続けて見て思ったのは、

同じテーマでもぜんぜん取り上げ方が違うことが

当たり前であっても、興味深かった。

 

映画鍋をつくるとして、

史実、つまり歴史手的事実という食材が、

1から4まであったとする。

巨大な1をぶちこむか、

まんべんなくすべてをそろえて入れるかだけでも

相当に違う映画ができる。

 

実際は、もっと複雑である。

自分の考えに都合の悪い1とか2とかをあえて削除したり、

あるいは主張したい3を強調するため

5という新しい要素をつくって入れることもできる。

テイストとしてもキムチ鍋か味噌鍋にするかによって、

食材の味そのものが各々変わって、

さらにいろんなバリエーションができてくる。

 

したがって歴史を扱った映画は、史実ではない。

史実を煮た「創作料理」である。

しかし、史実から生まれた「世界観」であり、

史実とつながっている。

史実の本質をとらえた概念になりうる。

だからこそ、多様な「世界観」の映画を見て摂取してこそ、

各個人の「世界観」はゆっくり出来上がってくる。

それは、常に懐疑されることで可能となる。

一つの「価値観」を盲信することは、

自分や周囲に害をまき散らすのだ。

そうした傾向が、最近、多いような気がする。


「ドンキーホーテ」的なラーベさん

 

四谷区民ホールで上映された

「南京 史実を守る映画祭」で見たもう一本、

『ジョン・ラーベ〜南京のシンドラー〜』について。

 

南京を陥落した日本軍より市民を守るために、

残留した欧米人の十数人が、

南京安全地区国際委員会を立ち上げ、安全地区を設けた。

そのリーダーがナチ党員のジョン・ラーベである。

 

映画を見た当初は、映画的すぎる筋などから

『南京!南京!』より不徹底なものに思えた。

だが、大阪府立大学大学院教授の永田喜嗣さんの解説本を

読むとこの映画の意味やラーベの見方が変わる。

『南京!南京!』では、「抗日」を強調するあまり、

南京安全地区国際委員会やラーベを無力に描いている。

だが、安全地区での欧米人の働きは、

やはり注目すべきものだ。

この安全地区のおかげで20万人の市民の命が助かったからだ。

映画でラーベは、堂々たる正義の人に描かれているが、

今は忘れ去られたラーベの存在を知らしめるには、

必要なフィクションとも言える。

 

研究者である永田さんの本に書かれた実際のラーベは

映画と少し違う。彼の偉業は映画の通りだが、

人物像は物腰柔らかい人である。

元貧乏人の苦労人。

学はないものの有能な人で、ジーメンス社員として

30年中国に滞在。

そもそもこの人は、一企業人であり、

中国人民を命をはってかばう義理もない。

日本軍と民間人の折衝役となったのは、

彼特有の純粋な義侠心であったようだ。

永田さんの説では、ラーベは英雄志向で、

ヒトラーとリンカーンを英雄として尊敬していた。

思想的にはムチャクチャな話で、かれはナチ党員であったが、

ナチの思想を理解していなかった。

 

永田さんは、ラーベを、人種への偏見がないコスモポリタンで、

ナチとは相いれない、お人よしのドンキーホーテだとする。

だから誰にでも好かれた。敵国の日本軍人でさえ。

そんな人こそ、膨大な人を救えたのだ。

何本かの映画で少々かっこよくしてもいいだろう。

そもそも映画は史実ではない。

史実を考えるための種みたいなものだ。

種はたくさんあっていい。

 

 

 

 

 

 

 


南京事件を描いた映画を見る

 

先日、友人と四谷区民ホールでやっていた

「南京 史実を守る映画祭」を見る。

上映作品は、中国映画で陸川監督の『南京!南京!』と

ドイツ・フランス・中国作品でフロリアン・ガレンヘルガー監督の

『ジョン・ラーベ〜南京のシンドラー』。

 

まずは、『南京!南京!』から感想。

日本人として見ると、きつくてつらい映画だ。

とくに呆然とするのは、南京安全地区の民間中国人に対して

日本軍が暴虐の限りをつくすことだ。

慰安婦として女性100人を求め、

彼女たちを死ぬまで凌辱し、

その裸体の遺体を無造作に荷車へ積むシーンは耐え難い。

実は同じ思いでそのシーンを眺めているのは

劇中の主人公である日本人軍曹である角川なのだ。

 

この映画はなんと主人公に、良心的な日本人を据えている。

角川はラストシーンで、南京で起こったことに絶望し、

中国人を2人逃がした後に自殺するのだ。


もう一つの特徴は、陸剣という国民党の兵士を軸に、

日本軍との抗日戦を強調して描いている。

これまで日本軍にただ蹂躙されたという南京事件の

イメージをくつがえそうとしているのだ。

 

映画の後、パネラーの永田喜嗣さんは、

南京映画では珍しい「抗日映画」だと解説していた。

つまり反日映画ではない。

敵にも「まっとう」な人間がいることを意識し、

日本軍のふるまいに「まっとう」に戦う中国人という

人間を描こうとしている。

 

この映画は残念ながら、

メジャーな映画配給会社では上映されていない。

市民団体が細々と上映しているに過ぎない。

 

永田さんの本を読むと、

世界では、反日でない、素晴らしい作品の

対日戦争映画が数多くつくられているが、

日本ではこれらの作品がほとんど上映されていないそうだ。

 

「加害」があれば「被害」がある。

それらの映画群は、

「被害」を自分たちの立場なりの客観性でとらえ、

憎悪を超えようとしたところでドラマをつくりあげている。

そうした芸術作品をもっとオープンに見ないと、

まともな国際関係など築けるわけがない。

少なくとも相手が日本をどう見ているか、

見ようとしているのかを知る手段として、

映画は手っ取り早い。


酒とタバコの…

 

本当は、こないだ見た強烈な映画について書きたいが、

今朝も時間なし。

しかたがないので、酔ったときに描いた

フィオナ・アップルの絵をアップする。

 

ところで、一度、お酒を飲みながらの

絵手紙講座をやりたいなと思っている。

適度に飲んでやれば、リラックスして描けるからだ。

 

また、タバコを吸いながらの絵手紙講座をしてもいいかも。

自分は吸わないが、最近、ひどく迫害されている喫煙者に対して、

少々同情を覚えている。

喫煙仲間と存分にパカパカとタバコをふかしながらやれば

気がほぐれて良い絵が描けるかもしれない。

 

フィオナ・アップルから話がはずれてしまったが、

この人の憂いのある曲をどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=c5XptSCCciU


布団から出られぬ朝

 

予定より遅く起きてしまったので、

今、時間がない。

さぁ、何描く? 何描く?

昨日買ったアップルパイだ!

美味いか、どうだ?

…う〜ん、なんか固い…  


落ち葉、土に還らず…

 

一生懸命に街路樹の落ち葉を掃いている人を見て、

「ああ、理不尽だ」と思う。

 

集められた落ち葉は、ビニール袋に入れられ

「ゴミ」になり、遠い焼却炉に運ばれて、

いろんなものと一緒に燃やされるからだ。

 

でも、落ち葉は本来ゴミではない。

地面に降り積もって、生き物たちの滋養となる

有機物なのだ。

 

しかし落ち葉は、人がつくったアスファルトに阻まれ、

そして人に「ゴミ」と命名される。

自然の循環を断ち切って、

莫大なエネルギーを消耗している

今の人間社会のシステムは、やはりおかしい。

 

これからは、自然のシステムに寄った文明を築けと

ある仏教学者は言っていたが、まったく同感である。

 

落ち葉を溶かして、下に土をつくるアスファルトが

開発されてもいいのかもしれない。

いや、アスファルトをひっべがえして土に戻し、

もう車は使わずして、人やモノに翼をつけて

飛ばせばいいのかもしれない。

人間を半分ほどに小人化して、スペースを増やし、

消費エネルギーを減らせばいいかもしれない…。

 


「演劇」としての相撲

 

ラジオで断片的に聞きかじっているにすぎないが、

相撲界がどうも嫌な雰囲気のようだ。

モンゴルと日本の双方の感情がこじれていく可能性もある。

 

問題の根は、相撲が、神聖な国技であり、

同時に「見世物」であるということだ。

 

日本の相撲は国技であるゆえ、

美しきがちんこ勝負を力士に要求する。

力士にしてみれば、それでは体がもたない。

「見世物」として過酷な勝負を常に強いられ

続けられるのはたまらない。

 

外国人であれば、「日本国技」は心情から

そもそも遠いものである。

すさまじい見世物の加重労働から、

身を護るための「八百長」は、

合理的判断として行いうる。

そこに流れていく心情は、

日本人力士といえど、状況は同じかもしれない。

 

苦労して力士になった限りは、

できるだけ長く相撲界にいて、

地位と名誉と金を獲得しなければならない。

元をとらないといけない。

「八百長」という談合は、生活のために必要なのだ。

 

もし、相撲の「国技」の要素を

純粋化させたいというのであれば、

非公開にすべきである。

天皇が行う祭事のように。

 

現在のような巨大な興行の形態を続けるなら、

観る側は、相撲とは、本当のところ

「見世物」と認識すべきである。

そして「国技」の要素は、

「見世物」を味付けするスパイスみたいなものとも

認識すべきである。

つまり、演じ切られる「八百長」を、

「演劇」として楽しめということだ。

 

現在の力士は、

神に捧げられる生贄ではない。

 

 

 

 

 

 

 


3日で終了

 

安日本酒2リットルも、

1日にお銚子4本を飲めば、3日で飲み切ってしまった。

1000円で買ったので、1日あたり300円程度。

1日3本ぐらいにしておくか。

ただ、安日本酒は、朝起きた時、少し頭に残るきらいあり。

安焼酎だとこんなことはない。

もっとも体に良薬となるお酒は、値がはる。

 

 

 


熱燗にはまる

 

高い酒はコストが大きいので、

安物の日本酒2リットルを買って、

熱燗用に飲むことにする。

 

2日試してみて、

1合のお銚子4本でちょうど眠くなることが判明。

でも結構酔うので、朝寝坊してしまいがち。

 

 

 


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