秋なのに、蚊

 

 

睡眠中、ブンブンとうるさくて起きる。

今頃、蚊の登場である。

猛暑の夏は、さっぱりいなかったのだが。

 

スキンヘッドから熱を発するのか、

頭部ばかり攻めてくる。

 

そこで、耳をすます。

至近距離に近づけば、バン、とやる。

耳が、蚊取りセンサーと化す。

 

捕獲率は今いち。

目で確認できないからだ。

勘しかない。

来た…と思う。

耳の上でバンとやる。

風圧で鼓膜が痛い。

しかも、蚊を取り逃がす。

 

やがて、頭は、

かゆみで火照ってくる。

やり放題、刺しやがる。

無礼な奴め。

 

 


座礁

 

ゴーストライターの仕事、見積もりが合わず、流れる。

こちらの金額が、先方の2.5倍だった。

流れて、むしろホッとしている面もある。

自分を殺して人の本を書くのは相当につらい。

こんな所行に手をそめてはなるまい。

独自取材の記事を書かねば。

 

いくつかの仕事、

先方のスケジュールでことごとく休止。

手持無沙汰。座礁の気分。

 

根本的な、方向転換必要なり。

 

本日は、読書しよう。

読書は、深い穴を掘る作業に似ている。

輝く鉱脈を見つけようと、

希望をもって、暗闇を垂直に突き進む。

 

人と話すのが、たえがたく、億劫だ。

声帯がこわばって、声枯れる。

 

 

 


フランスの「高倉健」

 

フレンチ・ノワールといわれるフランス製ギャング映画の傑作、

『現ナマに手を出すな』をDVDで見る。

あの名優ジャン・ギャバンの代表作だ。

えぐいアメリカンマフィア映画を見慣れているせいか、

非常に品よく感じてしまう。

 

ドラマの内容は、ざっくりいえば、

ギャングのジャンが相棒のヘマで、

引退に用意していた金塊という全財産を

失ってしまうというもの。

相棒も死ぬ。

スッテンテンになったジャンは、

愚痴一つ言わず、相棒を静かに悼む。

そこがかっこいいのだろう。

 

きっぷの良さ、寛容、忍耐、勇気、色気を

集約したのがジャン・ギャバンである。

日本でいえば、「高倉健」だ。

ジャンは60歳前後のシニアだが、

映画の中で若い女性たちをひき付けている。

その中に、若き日のジャンヌ・モローもいた。

おフランスの香りがする。

 

 


ある古本屋の試み

 

三鷹に、24時間営業の、

しかも無人の古本屋があるという。

 

システムはこうだ。

 

‥垢貌って、買いたい古本を選ぶ。

∨椶領△涼傭覆鮓る。

その金額を、備え付けのガチャガチャに入れ、

 ひねりを回す。

そ个討たカプセルの中に、

 本を入れるレジ袋が出てくる。

 

盗難事件が心配になるが、

今のところ、一件もないという。

商店街なので人通りがあることと、

ガラス張りであることが要因の一つだろう。

だが、地域の人がへ、

この本屋を愛しているらしいことが

最大の理由かもしれない。

無防備なことで、

かえってモラルを試されている、

このあたりの感覚が、

住民間の「地域愛」をかきたてる気がする。

 


着るか…

 

寒いから…。

 


渋谷ハロウィンへの設問

 

ハロウィンの日、渋谷が仮装する若者たちの無頼で

ひどく混乱した、という報道あり。

楽しそうな人の群れに、警官の列が対峙している

写真が印象的だった。

民と権力の対峙ではあっても、

ひどく退廃的、かつ、いたって平和にも見える。

 

世論も識者も、この現象を「若者の劣化」とざっくり評す。

フランスの若者たちが、喜々ととしてプラカードを掲げ、

政治的言説をとなえながらデモ行進するのと比べると、

日本は民度が低いのか、と嘆かれる有徳の人もいるかもしれぬ。

 

でも、本当にそうか。

日本の若者もフランスの若者も、

根っこは同じではないか。

既成概念というしめつけに対するうっ憤を

どうにもならない若いエネルギーが

ぶっこわそうとしているだけなのではないか。

つまり、たいして珍しくもない。

どちらも「祭」の変形にすぎないと思う。

 

問うべきは、

なぜ、渋谷とハロウィンが重なった1点となり、

そこに無頼エネルギーが集中したのか。

掘り下げると、何が見えるのだろう。

 


演歌に対する偏見考

 

ラジオでふと演歌を聞く。

やはり、受け付けないところがある。

自分の中の染みついた偏見があるだ。

 

「演歌」といわれイメージするのは、

「中年の恋」「不倫」「失恋」「未練」「片思い」

「スナック」というもの。

歳を重ねれば、多少分かるものかなと思っていたが、

分からない。

 

演歌でも好きなものはある。

森進一の「冬のリビエラ」や

美空ひばりの数曲はいいと思う。

でも、どこか突き抜けていて「演歌」的でないと

勝手に思っている。

 

世代的なものもあるかもしれない。

30年前、自分が若者の頃、すでに「新世代」と呼ばれていた。

聞く曲はアイドルものか洋楽であった。

なおさら、スマホ世代の、今の若い人が、

演歌を好んで聞いてるとも思えない。

 

しかし演歌は廃れない。

夜な夜なスナックのあちこちで熱唱され続け、

若い歌手がデビューし続ける。

この国に生きている限り、

演歌的要素が自分のどこかに、ひっそりあるかもしれない。

 

 


フェリーニ!

 

レンタル店で、

フェデリコ・フェリーニの『カサノバ』を借りる。

何度か見たが、まさに映画の古典で、

見るたびに深みにはまっていく。

 

ドンファンであるカサノバの女性遍歴を描いたものだが、

厳粛な悲喜劇といっていい。

カサノバ扮するドナルド・サザーランドの顔に、

フェリーニ監督は心底惚れたようだ。

カサノバの内にある

高貴な精神と性衝動が暴れる肉体との葛藤と分裂が、

サザーランドの顔そのものに、すでに表現されているからだ。

彼の屈折した芸術顔が、この巨大映画の大黒柱である。

 

冒頭からこれでもかという巨大セットと群衆が繰り出す。

いったいどんな予算でやってんだと思うのが

フェリーニ映画である。

ワンシーンワンシーンが、巨匠オリジナルの大絵画なのだ。

画面に登場する群衆のすべての顔が、

フェリーニに選び抜かれた愚者顔で、

構図や動作、出てくるタイミングで

みんな絶妙な「絵」になって笑える。

 

ギリシア悲劇につらなるヨーロッパ芸術の分厚い文化伝統を

凝縮させて、フェリーニ味に焼きあげたフェリーニ映画は

自分にとってかなり異質で、何度見ても文化酔いする。

生涯、理解できないのだろう。

しかし、なぜか変に強い郷愁を誘う。

タイムスパンを空けて、たまに見たいフェリーニ映画。


営業

 

ひょんなきっかけから、朝、異業種交流会に参加。

イラスト冊子を持っていく。

 

 

 

 


大賢人トルストイ曰く…

 

トルストイの『生命について』(集英社文庫)を読書中。

古本屋でパラパラみて、この人の生命観を通して

科学観や宗教観が論じられているのに興味を持ち、買う。

100円なり。

 

まだ途中だが、一つの考え方を、

いろいろ言い換えて言葉をつらねているなと思う。

自分なりに、こう解釈してみた。

 

人間は、「個」として、己のみの幸せを追求しても、幸せにならない。

欲望を肥大化させて、物質を取り込むだけ。

それは、欲望の「袋」たる、あるいは、欲望の「獣」たる状態。

 

真の幸福とは、「個」を捨てること。

自分だけの利益を求めない。

「個」を「理性」の下において、

己という「個」以外の存在のためにつくすべき。

それによってはじめて「生命」につながり、

幸福を得ることができる。

これは、古の聖人が説き、

以来2000年の人類史が到達した真理である…と。

 

だから、トルストイにとって、「科学」は相当いかがわしく、

認識の間違った方法論ということになる。

科学は、物質の仕組みを解明するだけで、

「個」の意識を物質界にのみとどめる考え方だと。

 

では、「生命」とは何を意味するか。

「理性」とは何を意味するか。

「宗教」とどう付き合うか。

…は、まだ読んでない。

 

ごたいそうな問いである。

なにも教養を深めたいから問うのではない

(教養なんてクソくらえだ)。

中年時代の真ん中にいるから、

知りたいのである。

 


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