「タコが足食う」経済

 

経済学にうといので、学ばないといかんと

ツンドクしていた『ゼミナール 日本経済額入門』

(日本経済新聞出版)を開いてみる。

数字が多くて難しく、

何度も挫折してほったらかしにしていたが、

今読むと関心持って読める、というか、

「日本、大丈夫か?」と心配になってくる。

 

「人口減少時代の財政」という章で、

日本の国債依存度が2011年で47.9%で、

発行残高、つまり借金が約660兆円とある。

改めてネットで調べると、2019年時点の残高は

1105兆円に膨らんでいた!

 

ある動画で学者先生(経済学者ではない)が、

今のところ国債は

日本国内で買われている、

日本人が自身の資産でやりくりしてるのだから問題なし。

国債をガンガン発行して経済を回し、

景気をよくしていけば借金なんてチャラに

なると言っていたので、そんなものかと安心していた。

 

しかし、経済の専門書である『入門』では、

国内で処理されているうちはいいが、

少子高齢化社会がさらに進むと、

経済を支える母体が小さくなるので、

国債を買い支えられなくなる可能性ありという。

 

そりゃそうだと思う。

タコが自分の脚を食いながら生き延びてるとする。

体力があるうちは、食った脚も伸びてこよう

(返済のたとえ)。

しかし、脚がなくなって、ついに体まで食いだすと、

これは致命的になるのではないか。

今の国債発行残高の膨張速度に、

日本国という生命体の体力は

耐えられるものなのか。

 

「実際はどうなのか?」と経済学者に聴けば、

きっと議論百出なのだろう。

で、実際はどうなの?

 

 


肉を食う

 

ここ最近、ソーメンばかりすすって

腹が水膨れ状態なので、

がっつり肉が食べたいと思う。

 

カナダ産の「輸入ブタ肩ロース手切り焼き肉用」

(320g)、新潟県産の生椎茸(菌床栽培、117g)、

エバラの「焼肉応援団! コチュジャンだれ」を、

西友にて買う。

ようするに、

安上がりに「焼肉店」をやりたくなる。

 

チェーン店の焼肉タレなら、市販のタレと

たいして味も違わない。

安豚肉でも、それをぶっかけてほうばれば、

結構美味いし、腹も膨れる。

 

そして、実際、そうする。

 

余っていたレタスに、焼肉とニンニクの生のカケラを

を手でくるみ、タレをべったりつけて口にほうりこみ、

さらに熱いご飯をかっこみ、

ハムスターみたいに両頬をふくらませて食べる。

手も口の端もベタベタで、これでは野人。

 

人前ではできないお行儀の悪さだが、

誰も見ていないので、かまいはしない。

 

肉に対する飢えは、とりあえず収まる。


夕方5時から、小人の行進

 

最近、夕方5時になると、すっかりくたびれる。

読み書きすると、頭の中が粘っこくなり、

つまり、思考が回らなくなる。

しかたないから、ビールを飲む。

 

酒樽をつんだ小人たちが口から

ぞろぞろ入り込んで、

せっせと肝臓にアルコールを浴びせかけることになる。

ボーッとする。

 

【追記】

●半熟卵は、約10分煮ればベストなことが、

やってみて分かった。

 

●ビックサイズのインスタントきつねうどんは安いが、

アゲがみじめに小さい。

40円高いが、きつねどん兵衛の方がアゲが

どーんと大きく、麺、スープも含め

はるかに美味しい。

 

●思わず目に入ってしまったテレビの

星占いで、一番の運勢だった。

今日は仕事がはかどるそうだ。

ラッキーアイテムは「自転車」。

 


被害者の実名は必要か?

 

京アニの被害者の実名を

NHKや毎日新聞が「公共性」を理由に公表に

踏み切ったが、全く理解できない。

遺族の大半が拒否していたし、公表すれば

悲しみ言えぬ遺族側に、メディアや心ない人からの

ジャンジャカ電話が鳴るだろう。

遺族にとっては、

報道における「二次被害」が発生する。

 

被害者の実名公表によって、視聴者になんのメリット

があるのかも分からない。

「公共性」を理由に事件を一般社会に伝えるなら、

事件の背景や、事件が起こるメカニズムを

多角的に分析したことを報道すべき。

実名報道は、単なるセンセーショナルな効果しか

もたらさない。

 


団扇とは

 

暑中お見舞い申し上げます。

やや暑さはやわらぎました。

いかがお過ごしでしょうか。

 

今年の夏は、一度も団扇を使いませんでした。

もともと家にもありませんし、

路上で配ってる人のい姿も見ませんし。

 

そこで古典的な団扇を、

描いて懐かしむことにしました。

 

団扇とは、基本は自分で自分の顔あたりを

あおいで涼をとるもの。

手を動かす分、運動して体から熱を発するわけですから、

結果的にはプラス・マイナス0。

本当に涼んでるかといえば、そうでもない。

 

しかし、「暑い〜、こんちくしょう」

といういらだちを、手の動きで表現しつつ、

その感情の爆発が風となって頬にあたることで

なにか清々しい解放感を気分的に

得られることが、

団扇の効用なのではないかと

思ったりもするのです。

 

 

 


盆踊り外交

 

暑中お見舞い申し上げます。

 

と、いっても今朝の気温24℃で、

ようやく暑さの盛りが過ぎたのでしょうか。

 

盛夏を通して気づいたのですが、

盆踊りの気配を感じません。

アラレちゃん音頭とか、ちびまる子ちゃん音頭とか、

まったく響いてこない。

 

先日、東京・北区の住宅街にある茶店で

コーヒーを飲んでると、

年配の地元人が、町内会の話をしているのを聞きました。

人が減って、盆踊りをやる町が減ったと。

また、2020年8月に東京オリンピックがあるので、

その年の夏は、どの町も祭を自粛するとのこと。

みながオリンピックの放送に釘付けになるからか、

治安が悪くなるからか、理由は分かりませんが。

 

この時期たくさん訪れる外国人の目に、

盆踊りはエキゾチックに映るでしょうに

もったいないことです。

 

オリンピックより、

盆踊りの方が、世界平和に貢献するのではと思います。

地元民と異国人が直に接することができるし。

韓国人観光客も、

日本人と和やかに踊っていただき、

その様子をSNSで拡散してもらえれば、

両国民、心もほぐれるだろうし。

 

 

 

 

 


朝の瞑想タイム

 

目の前に真っ白な絵ハガキ。

毎日、朝、何かを描くという課題は、

結構困りものなのだ。

日々描いても描いても、真っ白な紙が付き出されていく

という感覚に襲われる。

そんな時は、考えずに手を動かすしかない。

色鉛筆をデタラメに塗ったくる。

 

奇妙な線。

硬い骨に、柔らかい肉がぴったりついている

ミクロの解剖図みたいだ。

 

硬いパーツも柔らかいパーツも、みんな細胞の塊の構造物。

細胞は細胞液でひたされて、この間に血液が流れ、

いろんな物質を出入りさせている。

神経細胞から電流も流れ、筋肉細胞を痙攣させたり、

伸ばしたりすることによって、

骨をグリンと動かしたり、回したり。

 

生命って、不思議だなぁ。


「愛」が「生」を救う

 

友人と、不条理劇を見る。

東京都北区の住宅街の中にある劇場

「シアター・バビロンの流れのほとりにて」で

上演していた『狂人と尼僧』だ。

ポーランドの劇作家、

スタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェーヴィチ作で、

20世紀初頭の作品。

 

精神病院の病室に隔離された詩人で狂人の

ヴァルブルクが主人公。

フロイト派の精神科医が、フロイトのエロス理論を

応用した治療を施して名声を得たいと考える。

 

そこで「自発的女性殉教者修道会」の

若きシスター・アンナがその隔離室に送り込まれる。

互いに恋人を失って道にそれた境遇(シスターは信仰の道)

で似た者同士であったこともあり、

本気で惚れ合ってしまい、愛を交わしてしまう。

 

天才詩人は、生の希望を取り戻し、

詩のインスピレーションもとめどなくあふれる。

 

修道長さんは、シスターへ「破廉恥」と叫び、

フロイト派の精神科医は理論の成功に歓喜

 

しかし、詩人は、憎んでいたもう一人の精神科医

(フロイト派のライバルで、拘束派)をエンピツで

頭をぶちぬいて殺す。

病院は大パニック。

 

一端小康状態になりつつも、狂った詩人は

首をつって自殺。

フロイト派の精神科医は錯乱、

修道長や元患者の世話係2人もおののく。

 

暗転して明るくなると、

生き返った拘束派の精神科医が生ピンクのドレスを

シスターに渡し、はればれとした顔の詩人は

手を組んで脱出。

死んだ詩人自らを乗り越えて。

 

宗教、また疑似宗教のような

フロイト派精神科学に対する精神の抑圧を

本当のエロス(つまり愛、生の衝動)で

ぶっ壊した、元気な不条理劇

(ドダバタ喜劇?)。

しかし、作家ヴィトキェーヴッチは、

1939年む、ソ連軍のポーランド侵攻の報に接して

自殺してしまったが。

 

 


風鈴、鳴らそう

 

暑中お見舞い申し上げます。

 

最近、周囲を見渡しても

風鈴の音を聞いたことがありません。

窓を閉め切って、エアコンをガンガンかけるからでしょうか。

 

もし、この世にエアコンがなければ、

やはり私は風鈴を軒先につるします。

少しは暑さが和らぐからです。

しかし、風鈴は、気分を涼しくさせるだけで、

体感温度を物理的に下げてくれるわけではありません。

 

そこが味わい深いのですが、

この21世紀初頭の日本の暑さでは、

そんな悠長なこと、言ってられません。

断固として温度を下げなければ、

命を奪われる危険性があるからです。

 

かといって、

風鈴文化を絶えさせるのも大いなる文化的損失です。

 

さて、どうするか。

 

炎天下に外出する際、差した日傘に風鈴を垂らすのは

いかがでしょう。帽子のツバもありです。

 

邪魔だ?

 

では、ストラップサイズの小さなものに改良すればよし。

 

みんながみんな風鈴をつければ、リンリンうるさい?

 

そうですか?

しきりに鳴くセミたちと人間たちがデュエット

するみたいになって、

私は風流かと思います。


蚊やり先生

 

暑中お見舞い申し上げます。

 

昨今、相手を遣り込める言動にあふれております。

殺伐とした世相です。

お前が悪い、バカだなんだと、やってるうちに

どんどん感情も高じるだけで、

なんの生産性もなく、見苦しい限り。

 

あのブタちゃんの蚊やりを、ぜひ見習ってほしいもの。

のんきな顔しながら、やってることは恐ろしい。

敵である蚊を、ゆらりゆらりと煙を吐きながら

亡き者にしています。

 

敵を倒すなら、こんな感じでやるべきでしょう。

ワーワーやるでなく静かに、目立たず、

朗らかにやれば、百発百中で

相手を葬り去れるのではないでしょうか。


| 1/4PAGES | >>

このサイト内を検索

携帯ページ

qrcode