災害と宗教観
歴史本の江戸時代半ばのくだりを読んでいると、
災害のオンパレードぶりに改めて驚く。
富士山は噴火するわ、大都市・江戸は大地震に直撃されるわ、
紀州は大津波に襲われるわ。
日本は昔からずっと災害受難国であり、
今に始まったわけではない。
そこで日本の賢者はこう言う。
日本人は自然の猛威にこうべを垂れ、
忍従とあきらめの精神を培ってきた。
だから、自然を支配する一神教文化圏のような
科学文明を生むことはできなかった。
そもそも暴れる自然に、
科学の冷静なメスは入れられない。
「静まってくれろ」と祈るしかない。
そこらへんに、日本人の宗教観の源泉ありとも。
最近、とても興味があるのは、
日本人の宗教観、
中でも日本人の一人である自分の宗教観だ。
どうも宗教が、人には必要なんじゃないかな
という想いがだんだん強くなっているからだ。
ただし、特定の宗教や宗派に入信しようとは思わない。
かえって自分の宗教観から離れてしまう。
宗教的な感情、宗教的感覚を見定めたい。
日本的宗教感覚を呼び起こす台風が近づいている。
暴風雨の中で瞑想しよう。