1965年の中年男に想いを馳せる
勝新太郎主演の映画『兵隊やくざ』を半分見る。
日本の軍隊は、なぜあんなにサディステックに
兵隊を殴るのか、改めて知りたくなる。
今の日本社会の人間関係の在り方を
確実にトレースしているだろうから。
勝シン演じる二等兵・大宮は、
その軍隊内の撲りや制裁に際して、
「素直」に反感し、大暴れしているだけである。
彼はヤクザで喧嘩っぱやいが、
怒り狂うにはいつも正当な理由がある。
自己顕示欲や気弱のせいで暴力をふるう上官より、
よほど理性的だ。
大宮は、弱い者いじめはしない。
この映画1965年作ということは、戦後丸20年で、
軍隊で青春を過ごした若者が中年に達した頃である。
その中年男の観客が、軍隊への鬱積した恨みを
勝シンに託して溜飲を大いに下げたことだろう。
だから大ヒットしたわけだ。
当時の高度経済成長期の会社は、
変体した「軍隊」だったのかもしれない。
上司部下の階級による統制と制裁の元、
集団エネルギーは束ねられ、
「豊かさ」への獲得に、まっしぐら直進していたのではないか。
そのガス抜きには、『兵隊やくざ』のような
虚構のアウトローが大いに重宝されたのだと思う。
軍隊経験者の中年男たちの心は、
相当複雑で屈折しているか、または虚ろだったのか。