1965年の中年男に想いを馳せる

 

勝新太郎主演の映画『兵隊やくざ』を半分見る。

 

日本の軍隊は、なぜあんなにサディステックに

兵隊を殴るのか、改めて知りたくなる。

今の日本社会の人間関係の在り方を

確実にトレースしているだろうから。

 

勝シン演じる二等兵・大宮は、

その軍隊内の撲りや制裁に際して、

「素直」に反感し、大暴れしているだけである。

彼はヤクザで喧嘩っぱやいが、

怒り狂うにはいつも正当な理由がある。

自己顕示欲や気弱のせいで暴力をふるう上官より、

よほど理性的だ。

大宮は、弱い者いじめはしない。

 

この映画1965年作ということは、戦後丸20年で、

軍隊で青春を過ごした若者が中年に達した頃である。

その中年男の観客が、軍隊への鬱積した恨みを

勝シンに託して溜飲を大いに下げたことだろう。

だから大ヒットしたわけだ。

 

当時の高度経済成長期の会社は、

変体した「軍隊」だったのかもしれない。

上司部下の階級による統制と制裁の元、

集団エネルギーは束ねられ、

「豊かさ」への獲得に、まっしぐら直進していたのではないか。

そのガス抜きには、『兵隊やくざ』のような

虚構のアウトローが大いに重宝されたのだと思う。

軍隊経験者の中年男たちの心は、

相当複雑で屈折しているか、または虚ろだったのか。


赤パンダ情報

 

最近、日本中で地震が起きている。

この国に住んでいる限り、

いつなんどき、

どこで被災するかは本当に分からない。

 

警視庁が発信している被災時の役立ち情報は

知っていて損はない。

その一つが上のもの。

 

体育館などに避難したとき、

冷たい床に直に座らなければならない状況もある。

長時間になるとつらいものだ。

しかし、そこらにあるダンボールで

結構丈夫な椅子が簡単につくれ、重宝できるそう。

つくりかたは、

「警視庁 ダンボールのいす」と検索すれば、

すぐに出てくる。

 

赤パンダ情報でした。


夏の準備

 

買い物が好きでない。

必要なものも、「どうしてもいる!」となるまで

せっぱつまってからやっと買う。

 

椅子の上に敷いている畳のクッションもその一つだ。

畳の表面がばらばらになって、

ちょっとずつ繊維が散らばりゴミになり、

毎日掃除するはめになりつつ、

残った繊維の先がとがってチクチクお尻を刺す。

うっとおしいことこの上ない。

さらに下地のペラペラのクッションが

ベロベロ顔を出すのを気ままにむしるから、

いよいよひどい状態に。

そんなこんなでもう3カ月。

 

今日やっと新しい畳クッションを買った。

座ってみた。

爽快だった。

ああ、これで夏を乗り越えられると思った。

早く買えばよかった。

900円ちょいなのに。

 

不愉快をだらだら耐える癖が自分にある。

すぐに変えれば、ものごとはいっきょに快適になるのに。

 

 

 


外国人技能実習生の話

 

ある建設会社のホームページの求人枠の文を

つくることになり、社長さんに話を聞きに行く。

今のガテン系の現状を少し垣間見られた。

 

日本人の働き手が集まらず、

フィリピンから技能実習生を10人も入れているそうだ。

彼らは真面目で、多少の重労働はものともせず、

実によく働くという。

 

ここで文化の差だが、

フィリピン実習生は過酷な仕事になると、

仲間同士で鼻歌を歌い、掛け声をかけあい、

モチベーションを高め合う。

黙々働いてこそ仕事と考える日本人の職長さんは、

当初眉をひそめていたそうだが、

仕事がはかどるので何も言わないことにしたらしい。

 

また建築現場では、

上から下の者に対する罵声や鉄拳が飛ぶ風習がまだ残っている。

それをフィリピン人の青年にやると、

彼らを送り出した先生が本国から飛んできて

クレームを言いに来るという。

取材した会社の社長さんは、それを関係者から聞いて、

パワハラまがいのことをいっさいやめさせた。

すると現場の空気がガラリとよくなった。

 

日本人の職人はストイックな人が多く寡黙に働く。

だが、大らかな性格のフィリピン実習生たちのおかげで、

職場が明るくもなった。

 

求人状況はどこの業界も深刻で、

外国人労働者を入れなければもうもたない。

入れてみれば文化摩擦やトラブルが発生するだろうが、

閉じた日本文化にとっては、

良いこともたくさんあるのではないかと思う。

 

 

 

 


歴詩

 

沖縄慰霊の日の壇上で、

平和の詩「生きる」を朗読した相良倫子さん。

14歳の詩なのか。

力強くて深くて強烈だ。

真情があって知恵がある。

この詩は、

「今」という生を「歴史」につなげ、

「未来」へと噴出させた詩、

「歴詩」ではないかと、

勝手な造語で名付けてみた。

彼女の平和への祈念は本物だ。

一篇の詩に込めた精神の力が

基地も戦争もふっとばしてしまう。

 

唯一一つの歴詩を共有しよう。

https://mainichi.jp/articles/20180623/k00/00e/040/310000c

 

 


骨のある人の話

 

6月21日、友人に誘われ、本郷文化フォーラムにて、

講談師・神田香織とジャーナリスト・藍原寛子の対談を聞く。

テーマは、「東電裁判から見えてきた福島の現状と隠された真実」。

神田さんは東日本大震災で被災地のいわき市を故郷に持ち、

震災以降、被災地を題材とした創作講談を発表し続けている。

今回の対談企画は、神田さんが、やはりいわき市出身の

ジャーナリスト・藍原さんを呼んだ形となる。

 

藍原さんは、フリーランスになって間もなく

東日本大震災で被災して以降、この震災、また復興について

追っかけている。

そのうちの一つ話題である

東電裁判の内実はひどいものである。

 

東電裁判は、被災者が東電を訴えたもの。

被災者は、被災地のある地方裁判所での裁判を訴えたが、

どうも国の圧力で東京裁判で行われることになったという。

原告である被災者は、裁判のたびに往復1万5000円の交通費と

宿泊費が必要となる。後半は20回を超え、相当な負担となる。

また裁判当日、傍聴席に座るまで、

セクハラまがいの身体検査が行われる。

女性は胸の間までさぐられるという。

また、震災関連の裁判が複数、間を置かず、また同日に

まさに殺人的スケジュールで行われる。

これでは、裁判に関心を持つ人(被災者、ジャーナリスト)は、

十分に裁判を傍聴することはできない。

妨害的行為は実に露骨である。

また、藍原さんは、大手マスコミの役員が、

国の関係者と飲食を共にすることをよく目にするという。

裁判が明らかにしていく東電の実態は、

あまりよく世の中に伝わらないはずである。

 

そうした話に、神田さんは、講談の演目にある

明治維新が東北を抑圧した構造を思い出す。

今もこの国は民主的ではない。

 

 

 

 

 


木を見る

 

仕事の打ち合わせで、早めに喫茶店に行く。

テーブル前のガラス壁向こうの風景を、

ぼんやりではなく集中して眺めてみる。

 

1本の街路樹がある。

木は、風を葉の間にふくんでからフゥワリとゆらぐ、

ことを発見。

ゆらぎ方は一様ではない。

上、真ん中、下と、ランダムに動く。

風をふくんだところが、思い出したようにゆらぐのだ。

 

その傍らを、さまざまな人々が歩く。

こちらからすれば、次々と現れては視界から去っていく。

 

やがてママチャリに乗った白人のお母さんが、

自転車を止める。

後部座席には、白人の4歳ぐらいの女の子。

彼女の前には風車が回っている…。

人はどんな人種であれ、

みんなこんな子どもだったわけで、

みんな何ら変わらない、

という当たり前のことが

ふっと胸に浮かんで消えた。

 

 

 

 

 

 

 


果ての果て

 

動画『マモルくんの時間旅行』/第9話 宇宙誕生への旅

 

まだタイムマシーンが達成したことのない時間の果てへ!

https://www.youtube.com/watch?v=sjiexvVm0nA

 

 

 


孤独人

 

動画『マモルくんの時間旅行』第8話/マリリン・モンローの孤独

 

1962年のロサンゼルスにタイムトリップ!

あのマリリンに会いに行こう。

 

https://www.youtube.com/watch?v=DAsFD8uztTA

 

 


自分の顔

 

昨日、ある有料老人ホームで、月一の絵手紙講座を開催。

カタツムリのお手本に人気があったが、

顔を描くと、描いた人の顔に似ることが話題となった。

気付いたのはヘルパーさんたちである。

 

そうなのだ。

人は自分の顔を基軸として、「顔」を認識している。

だから、描けば似てしまう。

 

その顔が、カタツムリにくっついているから、

どことなく哀愁を帯び、愛らしい絵になる。

 

 

この日はいつになく、参加された方々の

絵のレベルがグンと高かった。

毎回参加する方が多く、

やはり枚数を重ねていくと

上達していくものなのだと実感。

一生学びか。

 


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