ホワイトハウスにて
ジャムプランニング制作の
紙芝居風動画『どんまい力士 マモルくん』第16話、
「トランプ大統領は友達さ」を
お楽しみください。
https://www.youtube.com/watch?v=6hxWaSszpw0
ジャムプランニング制作の
紙芝居風動画『どんまい力士 マモルくん』第16話、
「トランプ大統領は友達さ」を
お楽しみください。
https://www.youtube.com/watch?v=6hxWaSszpw0
徳川家康を解説したNHKのDVDを
面白く見る。
信長はじめ、秀吉、続く家康の天下人は、
どうも好きになれないが偉人ではある。
上は、DVDが紹介していた絵の模写。
三方ケ原の戦いで惨敗した31歳の家康像である。
顔のひしぎ方から翁を思わせるが、
よく見れば肉付きや肌の艶が若々しい。
家康は、敗戦のくやしさを忘れないために描かせ、
一生身近において眺めたという。
それを知ると、この絵がユーモラスに思えなくもない。
家康とは、自分を突き放して客観視できる
理知の働く人なのだ。
といっても、
DVDがかいつまんで話す家康の一生は
光と影に引き裂かれている。
信長に、実子と本妻を殺せと言われ、
泣く泣くそうしている。
なぜそこまで権力にこだわるのか。
絵のひしげた顔は、権力欲という魔物に
とりつかれた狂気そのものかも。
山口達也氏の謝罪会見。
精魂込めて築き上げた巨大な構築物が、
一気に砕け散っていくような凄惨さを感じた。
それは、所属事務所やスポンサーらの
経営的打撃による怨嗟、ファンの悲鳴、世間の怒号、
被害者の二次被害による涙などが黒々と渦巻き、
けたたましいものだ。
並みの神経なら、つぶれる。
国民的グループTOKIOは
清廉なイメージで支持されているので、
「わいせつ事件」は致命的である。
今後、芸能活動に復帰しても、
TOKIOというブランドに傷をつけた
汚名は一生ついてまわるだろう。
メンバーたちが彼をかばう友情が、
美談としてファンにある感銘を与えても
それは変わらない。
もし自分が彼の立場ならどうする…。
芸能界をさっぱり辞めて、
黙々と役に立つ仕事をするか。
このごろ、フェイスブックをあまり見ていないが、
未知の人からでも登録申請があれば、
あまりにヘンな感じのもの以外「承諾」している。
先日、アメリカの上品なおばあさんから登録申請が
あったので、何気なく承諾した。
すると、長文の日本語メールが届く。
翻訳ソフトを使っているのか、文がいくばくか不自然だ。
内容に驚く。
今、重病で死に至ろうとしており、
莫大な遺産を慈善団体に寄付する手伝いをしてほしいという。
親類や友人は信用ならないから、あなたが頼りだという。
メールアドレスを教えてくれたら、
詳しい事情を書いて送るとのこと。
不審に思ったので、そのままにしていると、
返事の催促の長文が届く。
内容は具体的であり、信じたい気分も起るが、
なぜアメリカの婦人が、遠く離れた日本人の、
しかも承認ボタンを押しただけの異邦人に
全財産を託すのか理解できない。
だから「アメリカには信頼すべき公的慈善団体が
いくらでもあるだろうから、そちらにアクセスを」と
返信しようと思ったが踏みとどまった。
危険な香りがする。
ナショナル・ジオグラフィックDVDビデオの
『百獣の王ライオン』は、見ごたえがあった。
三匹の若い雄ライオンが、
一匹の老ライオンを襲って、彼のハーレム(雌9匹)を
強奪するところから話が始まる。
雄が自分のテリトリーを維持できるのは2年ほどだという。
老ライオンの末路はあわれで、
自分の餌も取れないほど衰弱し、
最期はガリガリに痩せて、野垂れ死ぬ。
そして、かつての敵のハイエナたちに食われて、
あとは毛皮が残るきり。
家族の間の行為も荒っぽい。
オスメス、子ども同士であっても、餌は、
殺気だったすさまじき取り合いである。
病気の赤ちゃんを、母親ライオンは、
悠然と見捨てていく。
力なきものは生きるにしかず。
単純で明快な掟である。
そこに、べとついた情愛もなければ、
「福祉」という社会機構もない。
しかし、なにかさっぱりしたものも感じる。
盛りにある雄ライオンの横顔、まなざしは、
やはり「王」という貫禄があり、
高貴である。
エドワード・ファウラー著『山谷ブルース』
(新潮OH!文庫)を読む。
1990年前後、アメリカの学者が、
東京のドヤ街の山谷に住み、
日雇いで働きつつ、寄せ場の人々の声を記録した本だ。
とても充実した内容だ。
経歴を隠したい男たちが警戒するので、
テープレコーダーはいっさい使わず、記憶による再構成で肉声を
記録したことから、小説的な作品でもあると著者はいう。
寄せ場の人たちは、「新聞・雑誌記者は他人の人生を
ハゲタカのように漁る」存在とみなしているから
取材者が目立たぬこの手法はとても有効だ。
ライターとしては、最良の手法であり、
相当な記憶力と鍛錬が必要である。
自分もチャレンジしてみたいと思う。
ただ、少し気にかかることがある。
寄せ場の人に示す著者の立場がいささ曖昧なことだ。
当初は研究者としていたが、取材が深まって行くと
元英語教師で金がないからここにいる、という説明をしている。
これは半面の事実である。
著者は、帰国後、ライターとして英語でこの本を出版
してしまうからだ。
文庫前の単行本の副タイトルには、
「「寄せ場」の文化人類学」とある。
「文化人類学」のために、無断で寄せ場の人の声を
にまとめた、という見方もできる。