変てこ夫婦

 

ラジオでノムラ(元監督)さんが、

先日亡くなった愛妻サッチーの話をしていた。

やはり、日本を代表する悪妻を、

悪く言わない。

 

彼女の口ぐせは「何とかなるわよ」だったそうだ。

絶対絶命のピンチのときも

(その原因は、たいていサッチーなのが)、

そう言われて勇気づけられ、

「なんとかなった」と言う。

 

いいエピソードがある。

若き日、サッチーとの不倫がもとで、

所属球団を追われたノムラさん。

懇意にしている比叡山の高僧の元に

相談に行った。

しかし高僧は、連れてきたサッチーに会おうとしなかった。

連日のスキャンダル報道であきれていたからだろう。

するとサッチーは激高し、名高き高僧に向かって

「なんじゃ!困ってるもん助けるのが坊主だろっ!」

と啖呵を切ったそうだ。

正論である。

高僧は、世間の常識を真に受けるという

僧あらざる態度を示した。愚僧である。

それ以来、坊様はノムラ夫婦と縁を切ったそうだから

たいした人ではない。

 

サッチーはどんな人だったかと

アナウンサーが聞くと、

ノムラさんは、「名捕手だった」とボソリ。

「私をよく先導してくれたから」とのこと。

名キャッチャーにして、

ピッチャーの「女房」と言われたこの人は、

家庭でもサッチーの「女房」だったのかもしれない。

 

己の俗悪さも大びっらにさらしてなお前向きな、

空前絶後のこの変こな夫婦を

世の人が憎めないのは、

彼らが自分に正直だったからではないか。

 

 

 

 

 


非対称な車はつくり得るか?

 

横断歩道で、ボーッと信号待ちしながら、

ブンブン通り過ぎる車を見送っていると、

気付いたことがある。

 

車というのは、ことごとく左右対称なのだなと。

前面中央を縦に割ればそうなる。

そうならない車は一台もなかった。

 

では、まったく非対称の車というのは

つくれないかと考えてみた。

全体のボディはもちろん、

タイヤからエンジンのピストンにいたるまで

対称性を禁じた設計で、

動ける車はつくり得るのか。

優れたエンジニアが真面目に取り組めば

できると思うが、

ひどくゆらゆら動く車になるのは間違いない。

 

しかし、加工された構造物であるがぎり、

そのゆれにはパターンが生じるだろう。

パターンは時間的な対称性となる。

そのパターンのまったくない非対称のゆれ、

つまりでたらめなゆれをゆれて動く

車はできうるのか。

 


四六時中…

 

いいなぁ…アダ。

ずっと頭の中でなり続ける。

困るほど。

 

https://www.youtube.com/watch?v=J6KQCvLBObs

 


めくるめき多元宇宙

 

ユーチューブで、NKHによる「多元宇宙」を

テーマとしたドキュメンタリーを見て、

頭がクラクラしてくる。

 

最新の物理学によれば、

宇宙自体が無数にあるという!

チーズの塊をエネルギー帯とするならば、

いろんな宇宙がポコポコ頻繁に生まれている

ということだ。

われわれの宇宙は、その泡みたいな

一つにすぎない。

しかも無限に近い数があるから、

われわれの宇宙とそっくりの宇宙も存在する

可能性もあるらしい。

 

こうした多元宇宙像は、

重力、電磁気力、強い力(中性子と陽子の間の力)、

弱い力(放射性崩壊に関する力)を統一する

「ひも理論」が導き出したものだ。

「ひも」は、素粒子よりはるかに小さいひも状の輪で、

これがブルブル揺らぐことによって

物質をこの世にあらしめているという。

 

弦を揺らし音楽を奏でるチェロの比喩を

映像で表現していたが、

宇宙、いや多元宇宙は、揺れる無限の紐の

無限大の交響曲なのだ。

 

こんな宇宙像に向き合っていると、

ますます自分の存在が不可思議に思え、

日々の日常性など軽く吹き飛んでしまう。

 

自分も無限エネルギー体から現出した

一つの現象に過ぎないと考えると、

力がコンコンとわいてくる感じが

して愉快である。

 

天空の果てに無限の多元宇宙が広がる。

その一方、目の前を舞うつまらないチリ一つも

無限の宇宙を秘めて舞う。

 

人の認識力の、悩みの

なんとちっぽけなことか。

 

 

 

 


寂寥感

 

近所の電気屋さんの前に

立てられたLED電球の広告の幟。

東京都とのタッグでつくられたものだ。

 

小池百合子とピコ太郎の姿が、

なんだかバカっぽく見えてしかたない。

 

時の人が、

人気の頂点で出会ってできた産物である。

まったく接点のない者同士の

中身のない出会い。

 

その人気の熱は、今やどこにもない。

ただ風が、

雨ざらしで色あせた幟を、

ユラユラゆらせている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


小夢、叶う

 

子どもの頃、

アニメ『アルプスの少女ハイジ』での

食事シーンに憧れたもの。

チーズ鍋に、パンなどをつっこんで食べている様子が

いかにも美味そうだった。

 

それが「チーズフォンデュ」というらしいことを

最近知る。

先日、スーパーで、そのインスタントが売っていて

胸躍らせたが、買えなかった。

自分が持たない電子レンジ対応だったからだ。

 

そこで、クックパッドで調べると、

案外簡単につくれるものだった。

上のものを放り込めば、トロトロのチーズ鍋に。

早速、美味しく食べたが、

なかなか塩辛いものであることに気づく。

夜中、ヒリヒリ喉が渇いて飛び起きてしまった。

 

もういいか、という感じ。

異国の鍋なら、キムチ鍋の方がよい。


カーリング石鍋

 

今、オリンピックのカーリング女子が大人気だという

(特におじさんの間で)。

ならば、カーリング石鍋をつくって販売すれば

売れるだろうか。

カーリングの石を掘りぬいて、

取っ手をフタにすれば、堂々たる石鍋になる。

 

上の絵を描いてから調べると

カーリングの石は、密度ある花崗岩と分かった。

するとガスレンジでは熱が伝わりにくいようだ。

通常、石鍋は熱伝導率のよい軽石でつくられていた。

では熱した小粒の石を、カーリング石鍋の水に

放り込めばいい。難なく沸騰するだろう。

 

だが、家庭での取り扱いが難しくなる。

単品の販売は無理か。

 

では、居酒屋などにカーリング石鍋を販売しよう。

話題のメニューとして「カーリング石鍋ちゃんこ」

やら「カーリングのチーズ石鍋」やら

出せるだろうから。

 

 


恋金魚

 

伊藤園のお茶のパックの後ろに印字されている

新俳句大賞を、いつも楽しみに読んでいる。

 

上の16歳乙女の初恋の句なんか、

とっても初々しい。

 

浴衣(ゆかた)のひらひらが「金魚」に

思えてくるのがいいいなあ。

 

好きな男の子を前に動機がして、

口をパクパクする様を思い浮かべてしまう。

 

 

 

 


芥川地獄

 

最近、『日本の文学29 芥川龍之介』を少しずつ

読んでいる。

代表作がほぼ収録されており、

生涯にわたる芥川作品を通読できてよい。

 

この作家は、地獄の業火に焼かれながら

自分の呻きやら苦しみを書き刻んでいた

という印象を持つ。

 

過剰な自意識と繊細な感覚でとらえられた

自己や他人の偽善、エゴイズムが、

まるで手でふれられるように

リアルに表現されている。

こんな切れ過ぎる意識を持ち続けることは、

相当に生づらいだろうと思う。

 

でも読者は、その地獄を、

彫琢された筆致の「短編」で楽しむことができる。

これが長編にひきのばされたらたまらない。

短編地獄の世界は、短時間で切り上げられるから

美しく思える。

ただし、短編ゆえに鮮明で、

いつまでも心に残る。

場合によっては、どんどんと心に食い入り、

重くなっていく。

そして「芥川地獄」が、

いつのまにか自分の中に棲みついてしまうのだ。

 

本の終わりの方になると『西方の人』という

キリストを描いた作品がくる。

地獄からの「救い」がテーマになっているのだろうか。

じっくり読んでみたい。


朝のレシピ

 

ザクザクに刻んだキャベツに

黄身は半熟、周囲の白身がカリカリの

目玉焼きをドンと乗せる。

とたんに、黄身がどろりとキャベツにたれるがよし。

あとは醤油でもポンズでもさっとかけて、

箸でほぐし混ぜながら食べる、食べる、食べる。


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