多読すべからず
最近、金のかからない趣味として、
ますます読書だけが楽しみになる。
ショウペンハウエルの『読書について』を読み出すと、
「多読はするな」と戒めている。
読書は、「自分の頭ではなく、他人の頭で考える」行為で、
やりすぎるとアホになると言う。
そもそも本は、考えるための栄養剤みたいなものだと。
「早く言ってくれよ」という気持ちになる。
前世紀の人で早く言ってくれてるが…。
振り返ってみれば、
自分の頭には、読むわりにはたいして知識がない。
読んだものを片端から忘れるからだ。
この無知さ加減は、驚くべきことだ。
原因は分かっている。
記憶力が弱いことと、
内容をよく噛んで消化しないからだ。
飯の食い方と同じ、ガツガツしているだけ。
頭脳明晰な人より、
かえって被害を受けてないのかもしれないと
開き直ってもみる。
すぐに妄想がわき、他人の考えがどこかへ行くから。
でもそれでは、ただ本の前で漫然と
時間を過ごしたにすぎなくなる。
これからは、
読むものを選んで、精読しないといけないと、
今更ながら思う。
滋養のある本を、何回も何回も読もう。
読むべきもののリストはある程度あるし。
ところで、読書はある意味怖い。
食う寝る以外、
ほかに何にもしたくなくなる。
目の前の花を愛でるより、
活字で書かれた花を「花」として味わえてしまう。
これでは廃人である。
スマホ中毒者を笑えない。
何年か前、ある不動産店の女性社長が、
「読書は一切しない。旦那にもそれをさせない。
『人生』が薄まるから」と言い放ったことにとても感心した。
それだけあって、聞けば人生体験が波乱万丈で面白い。
彼女の旦那に対して心底気の毒だと思いつつ。
自分は、その内容を反射的に活字にしたいと思うのであるから、
もう「本」に取りこまれた重病人なのだろう。