新年を前に

 

今年も365枚描きました(絵でないやつもありますが)。

途中でやめようと何度も思いましたが、

もう最近、修行のような気持ちがしてきて、

毎日描き続けることにしました。

もちろん、

日々このブログを、またごくたまに、また偶然、

ごらんになられる方のためにも。

 

出来不出来のばらつきもあり、

どれが面白いかは描いている自分も

さっぱり分かりませんが、

何か心に響く絵なり、一文がわずかでもあれば

嬉しいなぁと思います。

 

今年は申年で自分の干支の年でありましたが、

そんなことはまったく意識せず、

年末になって思い出した次第。

年始に「見て、聞いて、言う年にしたい」と

抱負を述べました。

「言う」はそうでもないですが、

よく見て聞いた年ではありました。

来年は、もっと何かまともなことが言えるよう、

精進して参ります。

 

では、みなさま、良いお年をお迎えください。

 

2016年12月31日

「旅人」こと上田隆

 

 

 

 


命の感覚

 

ルポ・上野動物園7

 

子どもの後ろの大トカゲは、

陶器らしき冷たい置物。

 

檻の中の生身の動物が、檻から出た動物園内では、

置物という物質になるのが、妙に気になる。

人と動物の切れた関係が、

動物園の中に持ち込まれているように思えるからだ。

 

ただ、この空間では、人と動物の接近はある。

柵を挟んで見つめ合う、

いや、見つめ返す、いや、

一方的な視線を交わす可能性はある。

 

人は動物を眺めて、図鑑や映像で見る情報以上の

実在感を感じる。

子どもは直截にその印象をズシンと受け止める。

大人の場合、それはすぐに、

「ああ、ゾウね」「サルね」という平板な情報に

すり替え、頭をボーッとさせてしまう。

 

縄文人やアイヌ人などの狩猟民族が持ちえた

動物に対する感覚はどんなものであったろうと夢想する。

少しでもそれを知りたいと

現代に生きるマタギのルポを読んだことがある。

クマという動物と死闘するマタギの生命に対する感覚は、

各段に研ぎ澄まされているように思えた。

 

一方、人工物に囲まれて生きる自分たちは、

動物に手を触れたとたん、

カチンと陶器の、

つまらない置物にしてしまう。

 

 

 

 


飼育員さんの仕事

 

ルポ・上野動物園6

 

動物園の飼育員さんを、密かに尊敬している。

この仕事は、絶対好きでないと勤まらないし、

好きだからこそ、自覚的にこの仕事を選んだのだろうから。

やることがなく、しょうがなく選ぶような職種ではない。

 

日々、動物のデリケートな体調を管理し、

餌を与え、糞尿を拭い去る。

何より大事な仕事は、動物に愛情をそそぐことかもしれない。

 

看護師や介護士といった福祉関連の業務内容と

似てる気もする。

飼育員さんは、その対象に「動物」を選んだわけだ。

どこか人間に、絶望したとまではいかないが、

なじめなさがあるのだろうか。

 

言葉を話さない生き物に、

無限の安らぎを感じてしまうこともある。

特に動物がこちらに愛情を向けてくれると感じるときは。

飼育員さんの仕事は、その瞬間が楽しいのかもしれない。

また、動物との共感を、

入園者に分かち合いたいというのが、

喜びになっているのだろうか。

それに敏感に、ストレートに反応してくれるのは、

やはり子どもだ。

 

子どもは、動物に近い。

大人は、動物枠から中途半端にやさぐれてしまった

不良である。


手の付けられない動物

 

ルポ・上野動物園5

 

気になる動物といえば、檻の外にもゾロゾロといた。

子どもだ。

 

親たちが目を離した隙に、ペタンッと前のめり込んでコケて、

ぎぃやぁぁぁぁ〜と泣く子。

母親が名前をいくら呼んでも、あっちを向いて動かない子。

父親が「こら、一人で行くな!」と叱っても、

どんどん前に歩きぬく子。

もう好き放題で動き回っている。

 

でも、そんな子どもの無心な姿はいいものだ。

 

動物なんか見向きもしないで、

排水溝の格子に興味を示すお嬢さん。

「どことつながるのだろう?」と、

下に広がる暗黒の世界を覗いている。

 

 

 


空中のシマシマ

 

ルポ・上野動物園4/

 

シマウマも、じっとしている。

朝11時なのに眠っている。

そのじっとしているところを、

じっとみていると、

きみは、「線」の生き物になって、

やがて「線」だけ残って、

あとは何にもないようになったよ。

 

空中にゆらゆらする「線」を、

ぐいとつかんで束にして、

火でもともせば、

黒い煙がくゆりだして、

サバンナあたりの

乾いた匂いがすだろうか。


パンダハンター

 

ルポ・上野動物園3/

 

やっ、プロがいる。

わんさかいる客にまぎれて、

プロカメラマンが、パンダをカシャカシャ。

 

大砲のようにでかいレンズを水平に構え、

微動だにしない。

帽子もジャケットもズボンも

ぴたりと体を覆って、

その存在を消し去っている。

この大男が、もし赤い服装をしていれば、

大き目の郵便ポストみたいに目立ったろう。

 

こんなに冷徹なプロフェッションを

漂わせてるのに、

レンズに映っているのは、

パンダが気楽に食ってるシーンなんていうのは、

実に平和なことである。

 

ところでパンダ、きみはどうも役者の風格がある。

わざわざこちらを向いて、

笹を上手そうにほうばっているから。


ひたすら無為

 

ルポ・上野動物園2/

 

ゴリラが、柵の前、こちらの鼻の先に、

ゴロリと寝ている。

 

毛の生えた、大きな"おっさん"みたいな。

肩や背中の筋肉の盛り上がりがすごい。

人間の体格に近いゆえ、獣感(けものかん)が迫ってくる。

すえた汗臭い野生の匂いが、まさにツーン。

 

しかし、暇そうだ。

時間をもてあましている。

ここには、ジャングルの中の、

新鮮な日常はない。

清流をジャブジャブ渡り、

森の瑞々しい果実をもぎ取り、

強烈な魅力を放つ異性に

激しく求婚するような事件もない。

 

管理の行き届いた

嘘ものの岩場と、

かすかに小便くさい広場を

食っちゃ寝しながら、

ただ、ただ、霊長類の親戚に、

ジロジロ眺められているばかり。

 

きみは、それでも発狂しないのか、

おっさんゴリラよ。

 

「うるさい!

オレがここにいることを望むのは、

あんたらじゃないか」と、

腹をかいたぞ、

おっさんゴリラ。


境目

 

ルポ・上野動物園1/

 

動物たちのおしゃべりを聞いてしまった。

なかなか面白かったので記録する。

 

ラマ 「きみも『動物』のくくりに入ると思うのだが、

    なぜ上野動物園の『鳥』部門にいないのか?」

カラス「おいらは、そこらにいるし、嫌われ者だからな」

ラマ 「ここは、することがなくて退屈だよ。

    きみは、自由に飛び回れていいな」

カラス「まあね。気ままでいいさ。

    カラス退治をしかけられて時々ひどい目に会うけど。

    おいらたち、人間の食い物が好きでね」

ラマ 「人間に食わせてもらってるということでは、

    似たようなもんかい」

カラス「いまいましい限りだね。

    じゃ、よい年をな。カアカア」(飛び立つ)

ラマ 「きみこそ。オウオウ」(首を振る)

 

 


ああ、いい天気だ!

 

そうだ、動物園に行こう!


目が怖い

 

アクティブ絵手紙講座を、有料老人ホームで行う。

月一でやっているものだ。

 

テーマは、年賀状。

来年の干支は酉なので、

鶏の写真のコピーを持っていき、

それを模写してもらった。

パソコンの画像検索で集めた数枚入れたやつだが、

すぐに映像資料を集められるとは、

本当に便利な時代になったなと思う。

ちなみに図書館で鶏の図を探すと、

意外といいものが探せなかった。

 

写真の模写は、結構好評だった。

鉛筆で消しては描き、消しては描きながら、

だんだんと「鶏」になっていく過程に

熱中されたようだ。

 

「よく鶏を見ると、目が怖い」という人がいた。

なるほど、小粒なまん丸な目には

感情が読み取れず、不気味で、

結構にいかつい顔つきをしている。

「野生」という言葉も思い浮かべてみる。

 

鶏にしてみれば、

人間の方がよほど恐ろしいはずだ。

絞めるときに、恐怖の表情を浮かべ、

「助けてくれ!」なんて叫ばれたら、

我々はきっとわれらは、

彼らを、もも肉やらむね肉には

できないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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