東京国立近代美術館フィルムセンターにて、
1948年制作の東ドイツ映画『罠 ブルーム事件』を見る。
1926年にドイツで起こったユダヤ人商人に対する
殺人容疑裁判を映画化したものだ。
描かれる時代は、ワイマール期ドイツの反ユダヤ主義が
台頭してきたころ。
青年ガブラーは、保証金詐欺を働き、初老のブラッツァーを
殺害して大金を強奪。
捜査線上に浮かびあがり警察につかまるも、
でたらめな証言をする。
マフィアのボスのような輩に連れ去られ、
殺人を強要された…うんぬん。
一方、警察は、殺されたブラッツァーが
ユダヤ人工場主ブルームの脱税を発見し首に
なっていたことを知る。
そしてろくすっぽ現場の調査もやらず
短絡的にも、ガブラーを脅した人物こそブルームで、
脱税をあばいたブラッツァーを殺したと断定。
悪党であるユダヤ人ならやりかねない、
という偏見だけで、ブルームを逮捕し、裁判に…。
結果は、ベルリンの敏腕刑事の単独捜査で
ブルームの無実が晴れる。
この展開自体に、戦後ドイツのユダヤ人に対する贖罪を思う。
映画は、偏見の恐ろしさを淡々と描いて、
寒気をもよおわせる。
偏見は、根拠なしに、怒りや妬みなど、負の感情を
一方的に盛り上げられるから、
それをぶつけられた相手は防ぎようがない。
昨今、嫌〇〇とか、他国を一方的にやじる
ムードが漂っているが、状況は映画に似る。
他民族、他国に対する偏見は、
自国の歴史観からくるので、ある意味実証が完全ではない。
他民族、他国にも自国の歴史観がある。
その隙間に憎しみが巣食えば、燃え上がるしかない。
偏見を撃退するのであれば、
もっと下の岩盤である、「人間」の歴史を見なければ。
人間、あるいは人間集団は、
戦争などの負の社会事象で、いかに恐ろしくゆがむのか、
冷徹に分析し学ぶことが大切。
映画は、その良き学習手段であり、
最適な教材がいくらでもある。
日記として、
映画館で友人と会い、後、酒を飲んだことを記す。