ありありと



中世イタリアの画家チマブーエが描いたキリスト像模写。心象に、ありあり現れるという感じ。

カトマンズの血



ネパールが大地震に襲われた。18年前に行った思い出深い国である。カトマンズがめちゃくちゃになっている映像はたえがたい。がれきの山の中で、破損しつつも静かにたたずむ仏像の写真がネットに掲載。その額に赤く塗られたティカ(ネパールの習俗)が、血に見える。

男、一匹…



花の名前12/「一輪草一つといふは潔し 山崎ひさを」と、やせ我慢。

はなびらの肉



花の名前11/実際に咲き誇る椿を見ると、花も葉もぼってりとくすみ、パッと「華やか」な印象を受けない。「はなびらの肉柔らかに落椿 飯田蛇笏」と詠われるように、どこか肉感的。謎めいた怪女優のナターシャ・キンスキーを思い浮かべてみる。

 

江戸の時空から指弾する21世紀の「盗人」



北千住のシアター1010にて、友人と平石耕一作・演出の『自り伝(ひとりでん)』を観劇。「徳川家康は盗人(ぬすっと)」と言い放った江戸中期の思想家・安藤昌益をモデルとした劇の第二弾。彼を弾圧したい権力者(劇中には姿を見せない)と対する昌益、彼を取り巻く助っ人武士、こじき芸人、弟子とのスリリングな攻防が無類に面白い。今回は、結託した武士と商人が「収奪者」として、昌益の舌鋒にさらされていた。「武士は百姓から奪った米を担保に借金し、5年10年の米まで売っている」と。作者平石の念頭にあるのは、3.11以降の政府、借金を今も莫大にふくらまし続ける日本。

醜男の賢人



ソクラテスの彫像に目ん玉を入れて描く。すると穏やかな好久爺が現れる。つくづく不細工な顔の人だなぁと思う。この一人のさえない男が2500年前に発した思想が、いまだ人の心に広く響き渡っていると考えると実に不思議である。「2500」という数を米粒に換算すれば、たかが茶碗一杯ぐらいかと思えば、そんな昔でもない。「私と話をしてみないかい? 」「お手柔らかに。あなたの言葉を追ってるだけで、クルクル目が回りますから」。

 

古代人と話す



ヘレニズム美術とされるデュオニソス神の頭部彫刻。欠けた鼻を補い、目ん玉を描くと、生気を帯びた美女となってドキリとする。この酩酊の神のモデルは、アンニュイな雰囲気を漂わせる貴婦人だったのかもしれない。「で、あなた、その問題について、どんなご意見をお持ちですの?」と、こちらを試すような視線。「いやぁ、どうも…」。

 

なぜ、池上さん?



ジャーナリストの池上彰が、メディアで重宝されている。それは自分の意見を直接言わないからかもしれない。彼は、起きてる事象を、プロセスから、しかもシンプルな要素にして組み立てて説明する。だから視聴者は、彼の意見を聞かずとも、事象そのものから結論を論理的に知らされる形となる。したがってそれが過激な結論に至る場合であっても、「事実はそうだったのか」と納得させられてしまう。一方で、本当であっても過激な結論をいきなりどんと出す評論家は、自主規制で自らの首を絞めつつあるメディアでは使えない存在に。だから今、池上方式はぶっちぎりの一人勝ち。

 

不機嫌な子規



花の名前10/「世をいとう心薊を愛すかな」と詠う正岡子規。心の棘が、鉄の如くだったら恐ろしいが、薊なのがどこか優しい。世に対するいがいがした棘こそが、多くの名歌を生んだか。


 

ニャコ柳



花の名前9/もわもわした毛に包まれた花をよく眺めると、なるほど「猫」に見える。つまり、そいつがたくさんぶら下がった柳なわけだ。「そばへ寄れば急に大きく猫柳 加倉井秋を」 この花を目前に見て、「わっ、猫!」と。

 

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