薄曇りの堂々巡り
広告の仕事で、名刀の模造品のコピーを書く。男性向けホビーだが、なんで男はこんなものが好きなのかと思う。刀といえば所詮人殺しの道具である。その二重波紋の薄曇りの優美さがかえって血を鮮烈に連想させる。残酷な死への戦慄が美への感応へとつながっていくのだろう。刀の美には、命は短し、美しく潔く果てよという桜の美学、武士道が底流にある。最近、「武士道というは、死ぬ事と見つけたり」の『葉隠』の入門書を読む。「人に意見する時は、怒らせぬよう、やんわり言え」などの処世術もある。太平の世に書かれたもので、基本的には、戦を知らぬサラリーマン的武士を鼓舞する書である。「死ぬ事」を思い定めて、シャンとして生きよ、と言うわけだ。名刀の武士道も『葉隠』と同じ文明人の刺激剤なのか。しかし、やはり殺しの道具を愛でる文化は不健康で、文化は元来不健康なものなのかと堂々巡りに考える。