今日も一つ、賢くなりました

 

洗濯したズポンを1日干しても、ポケットが湿っとして、また2、3日干す。するとズボンの生地が少しずつ堅くなっていく。しかし、もともとポケットを引き出して干せば、1日で乾くことを本日実証。

企画病

 

絶対当たる企画だと、夢の中でお告げがあった。それは「木綿ラーメン」。子供に流行るだろう、ぬるい汁に浮かぶ麺のファーストフードだ。味はさっぱり分からない。なぜ「木綿」なのかも分からない。ただ、「売れる!」という確信だけはある。しかし目が覚めて、「なんのこっちゃ」と思う。ちなみにネットで検索してみると、那須塩原市の「木綿畑ラーメン」、埼玉の「手打ち中華もめん」がヒットしたが、夢の中の「木綿の着物」のイメージはない。自分は飲食店を経営したいわけではない。「木綿ラーメン」に、何か隠された意味があるのだろうか?…

砕けたガラスの真情

 

マドンナ1/練炭殺人の木嶋だが、なんであんな薄っぺらい女に男は騙されるのか、と思うと、自分の女性像が気になってくる。心理学者のユングは、男性の女性像を「アニマ」(女性の男性像は「アニムス」)といった。その人の「魂」の領域となるらしい。そこで、自分のアニマ、もっとくだけて心のマドンナへの旅を10枚ほど。第一弾は、椎名林檎。デビュー作の「罪と罰」には戦慄した。脆くて弱い心を、砕けたガラスのように先鋭化して表現した痛々しい歌に腰を抜かした。上の冒頭の歌詞は、手触りある孤独の感覚がリアルに伝わってくる。そしてさびの部分でさらに凍りつく。「不穏な悲鳴を愛さないで 未来等見ないで 確信出来る現在だけ重ねて あたしの名前をちゃんと呼んで 身体を触って 必要なのは是だけ認めて」。あまりにも正直な愛の告白。近松の心中もののような絶対時間がそこにある。彼女に惹かれるのは、嘘のないこと、純粋な心情。「罪と罰」は右のアドレスで。http://www.youtube.com/watch?v=2AvrxcbdfbM

毒の大輪

 

佐野眞一著の『別海から来た女 木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判』(講談社)を読む。木嶋佳苗は、中高年の男性たちから高額の金を奪い、練炭で次々に殺害した女。本書を読んだ後、やるせなさだけが残る。騙された男たちの像が、あまりにもあわれで、情けない。自分にもその脆さがあるような気もしてくる。北海道・別海の荒涼とした地から来た木嶋は、大消費地・東京で、毒の大輪をたくましく咲かせた。後に残ったのは、生気を吸いとられてぽっかり空いた大穴か。彼女の背景、家族のルーツ、被害者の物語が絡まったルポに、病んだ日本の深淵が…。

哀愁の硬直的夜行バス

 

用事あって、奈良に。その帰り、大阪→東京の夜行バスにて。安いランクの席で、体が伸ばせず、大阪通天閣のビリケン風ポーズ。運転席から、夜のネオン、信号、前車両の赤いランプといった光が、自分の上半身に容赦なく流れていく。それでも眠りは訪れ、サービスエリアでの休憩のたびに起こされ、また眠る。体はどんどんと硬直し、物悲しい夢ばかり。

わが心のデビル

 
 
妙な英単語6/辞書の挿絵に載るくらいだから、正式な悪魔像なのだろう。コウモリを筋肉質にしたようで、どこか愛きょうがある。キリスト教圏の「デビル」は、日本人の自分が考えるより、シビアで残酷な気もする。キリスト教の源流にもつながるという、ペルシアから生まれたゾロアスター教の二元論では、善と悪とが血みどろに戦う。わが心の中の悪魔はもっと漠然としている。この挿絵のごとく姿も形もない。でも意識に溶け込んで、確かに存在している。時々ヌッと姿を現し、自分をうろたえさせる。

見過ごされがちだが重要な単語

 

妙な英単語5/1738ページの辞書の中で、動物の部位を図示した所は、ここのみ。大陸に住まう英語圏の人々にとって、かつて馬は大切な交通手段。だから馬に関する名詞も多いのだろう。その中でもこの「フェットロック」は、見過ごされがちだが、実は大切な所なのか。出っぱり具合で、速さや持久力が違ってくるのだろうか。競馬ファンなら知る人がいるのかもしれない。ところで、日本語を学ぶ異文化の人々に対して、挿絵の解説が必要なほど日常の中で重要で、でも忘れがちな単語は何かを考えてみる。「鼻毛」(出てる時、指摘されて分からなければみっともない)、「吊革」(電車のだが、「吊る革」って何だ?と、漢字の初心者にはイメージしにくい)などなど。「和英細部図解辞典」をつくったら、日本語学校で売れるかもしれない…。

あんた、パフォーマーだろ?!

 

妙な英単語4/インドを歩いていた時、自分の体を痛めつける苦行僧が、観光地によくいた。現地では彼らを「サドゥ」と呼ぶ。ある全裸の、風呂も入ってなさそうなサドゥが、白人の大柄な奥さんの前に立ち、やおら自分の股間を紐のようにして、石をくるんだカゴを持ち上げる。奥さんは悲鳴を上げて逃げ、旦那さんが苦笑して追いかけていった。そのサドゥ、お賽銭をもらいたいがためのパフォーマンスをやったのだ。「どこが修行僧やねん? アホか!」と、あきれる。上の単語は、「フェイカー」と読む。「faker」と綴れば、「いかさま師」の意味になる。英語圏の人は、「サドゥ」と出会うといつも「いかさま師っぽい奴らよ」と思ってしまうのだろう。痛みに耐えられるのだから、立派な僧も少しはいるだろうに…。

舞え、謳え、東京スカイツリー

 

22日、東京スカイツリー開業。地元の墨田区住人は、この日が近づくにつれ、夜、周辺で騒ぐ若者たちに悩む。前日の21日朝7時頃、金環食があった。932年ぶりという。その時の1080年は平安時代。怨霊におののいた時代だから、人々は恐怖に凍りついたであろう。21世紀の現代人は、「天体ショー」と浮かれている。でも金環食は、やはり不気味だ。太陽の腹に黒々した穴を開け、東京スカイツリーを虚空に吸いむようなビジョンが浮かぶ。この世界が、もろく壊れやすいものに感じていしまう。だから若者よ、楽しい今こそ、踊れ、騒げ(もちろん、人に迷惑をかけない所でね) 。しかし、君らが大人になった時、「最近の若者は…」なんて嘆いてはいけないよ…。

骨に願いを

 

妙な英単語3/もし、英語圏の友人ができたら、「ウィッシュボーン、知ってるぜ!」って言ってみよう。「オウ、ヤッテミルカイ?」という流れになれば、楽しく盛り上がるはず。現地では、 「缶けり」や「押しくらまんじゅう」ぐらいの知名度はあるのだろうか? 鶏が骨付きでしか店で売ってない地域の話なのだろうか? そこでは骨を積み上げるほど大量に鶏を食うのだろうか? ひょっとしてアメリカのケンタッキー州の遊びなのか? そもそも人はどんな願いごとをするのか?… 疑問はつきない。

 

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