一輪花

 

川上未映子著「ヘヴン」+5/「僕」が今も斜視であることを、コジマは心のどこかで淡く期待していたのかもしれない。コジマの思い出を大切にしているという意味で。しかし、「僕」は普通の目になり、自分の道を歩いていた。大人のコジマは、14歳の頃の幼い自分とともに、寂しくそれをかみしめていた。「僕」は、コジマのかすかな心の揺れを、もの悲しく感じていた。

木漏れ日

 

川上未映子著「ヘヴン」+4/この5年間、「僕」はコジマに対して、彼女が「僕」に抱いたであろう誤解や、また自分の想いを話せたらどんなにいいだろうと思ってきた。でも、いざ本人が目の前に現れると、とても戸惑う自分に気づく。コジマの身なり、声はとてもほがらかだったが、そのまなざしはどこかナイーブで陰りがあった。

19歳のコジマ

 

川上未映子著「ヘヴン」+3/ くじら公園の事件以後、「僕」はコジマは会っていない。その行方すら分からなかった。 だからその突然の邂逅に心底面食らった。コジマはどこかパワフルで魅力的な女の子になっていた。今まで内に秘めていたものが、一気に吹き出しいてる、という感じだった。

義妹の手

 

川上未映子著「ヘヴン」+2 /小説の「僕」は、どうも肉親との関係が薄い。だからよいコンビの継母を軸とした新家族を「僕」に与えてみた。そして「僕」は今、大人に近づきつつある19歳。家族の意味を考え始めている。幼い義妹は守るべき親族として愛情を深く持つことができるのか、「僕」には当然分からない。「僕」が自ら求めようとするのは、百瀬が抱く排他的な愛情ではなく、もっと開かれた関係の中での愛情かもしれない。

「家族」をつくる

 

川上未映子著「ヘヴン」+1/ここから先は創作。「僕」は継母とよく相談し、中学校に通わず、自宅で学び、高校に無事入学。今度は友人にも恵まれ、充実した高校生活をおくる。「僕」は、継母と「家族」をつくり直す。義父も受け入れた。そして義妹も。やがて継母は身重になり、「家族」はよりにぎやかに。

ヘヴン

 

川上未映子著「ヘヴン」完/世界は、歓喜にあふれた美しさがあるだけだった。百瀬の言うように意味などない。また、コジマの言う、コジマにとっての意味ある世界でもない。ただ美しい。また「僕」が感じたその美しさは、誰にも伝えること、知ってもらうこともできない。自分自身でのみ実感し、見ることのできるものだからだ。つまり、世の意味無意味の視点を捨てされば、目の前に広がる身近な世界である。あるがままの世界、そここそ「僕」のたどり着いた「ヘヴン」だった。川上氏の「ヘヴン」はここで終わる。後数枚、読者としての夢想を続けよう。

奔流

 

川上未映子著「ヘヴン」94/何千何万という葉のすべてが金色に輝き、「僕」の中にとめどなく流れ込んでくる。すべてに知らなかった重さがあり、冷たさがあり、輪郭があった。「斜視」とは、どん底に悩む「僕」にとっての世界の見え方の象徴だった。そこから見えるものは、善悪が矛盾し詰抗する修羅場だった。しかし、今僕は、「斜めから見る」のではなく、まっすぐに見る目、視線を、生まれて初めて持った。その目で世界を見ると、「僕」は驚愕した。あるがままの世界があった。それはすさまじく生き生きした奔流だった。

静けさ

 

川上未映子著「ヘヴン」93/「僕」は闇を抜け、晴れ渡った12月の青空の下を爽やかな気持ちで歩いている。視界はぼんやりしており、ただ光の中にいるよう。継母が病院に戻ると、「僕」は一人で新しい世界に向かい合っていることに気づく。かつて憂鬱に歩いた並木道が目の前に広がる。しんと静かな時間…。

最後の闇

 

川上未映子著「ヘヴン」92/「僕」は全身麻酔で手術にのぞんだ。この物語で「僕」は何度も意識のどん底に落とされ、その闇の向こうである「死」へ連れ去られそうになった。今回、最後の闇のトンネルをくぐりぬける…。

ためらい

 

川上未映子著「ヘヴン」91/「僕」はまだ、コジマの言った「斜視は君そのもの」という言葉にこだわっているのか。手術は、やはり「逃げる」ことになるのか。単なる目にすぎないのなら、手術することで何が変わるのか。考えれば考えるほど分からなくなる。医者はそんな「僕」の迷いに気づく。「斜視なら、斜視でない目になってみたいと思うことは別に悪いことじゃないと思うよ」と、袋小路の若者を気遣う。12月の空は白く澄んで、冷たい風が下から上にザザザッと吹き上げる。未知の世界へ、「僕」をいざなうように。

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