5億人の友人も、孤独を癒さない

 

渋谷シネパレスで話題の映画「the social network」を見る。世界最年少の富豪で、「フェイスブック」の創設者マーク・ザッカーバーグの実話。「フェイスブック」とは、ネット上に自分の実名と顔写真、プロフィールを公表し、紹介で友人を増やしていくというもの。ハーバード大生のマークは、天才プログラマーで、ガールフレンドにふられ酔った勢いでつくったサイトが2時間で2万アクセス。その後、ネットのハーバードコネクションをかすめ取り、フェイスブックを創設。映画は、共同事業者の友人とハーバード大の若者が訴える裁判の進行を元に展開していく。「会話のアクション」のようでスリリング。マークにとって裏切りも失恋も意図したことではない。いいも悪いも突き抜けて「フェイスブック」にのめっていくマークの情念が圧巻。その奥に、ただ人とつながりたい孤独な男がいる。オーソン・ウェルズ「市民ケーン」の21世紀版。

人間賛歌のAVをつくった男

 

アップリンクで、「YOYOCHU SEXと代々木忠の世界」を見る。「ヨヨチュウ」こと代々木監督は、AV界の巨匠。愛染恭子の本番シリーズや「ザ・オナニー」シリーズなど、従来のエロ映画の"筋書き"を壊した性本来を露出した映像で、世に衝撃を与える。女優との面接の長さは定評で、その人のバッググランドを理解して作品づくりを行う。過激な性表現に、フェミニストの批判を受けると、「代々木忠を囲む女性たちの集い」の会を定期的に開催し、性について語り合う。仕事の企画で出会った多重人格者の女性30人の相談を引き受け、うつ状態になったことも。元極道の生一本と優しさが交錯する、魅力ある人なりと人生が浮き出る名作。「性」を通した人間賛歌。

破れた「ボール」

 

川上未映像子著「ヘヴン」28/苛める側は、計算高い。自分たちの犯罪的行為がばれないよう注意を払う。だから忠実な被支配者の「僕」に後始末を指示することを忘れない。殺伐とした体育館の床には、「僕」の血が広がっている。暴力を受け入れ、激痛の元に流した血。なぜ、「僕」は抵抗しないのか。

リンチ

 

川上未映子「ヘヴン」27/二ノ宮とその取り巻きは、「僕」を存分に蹴り、その体や人格が崩れ落ちていくことを遊んだ。暴力によって「僕」をモノ化、つまり魂のない「ボール」にしていく。そのことで「僕」を支配するプロセスを、リンチを、彼らは心ゆくまで楽しんだ。

本物の「魔法」

 

川上未映子著「ヘヴン」26/百瀬が破れたバレーボールの皮を「僕」の頭に。脈打つ心臓の音。二ノ宮が唐突と思える小説嫌いの告白をする。彼の思考を次のように解釈してみる。「小説とは空虚なつくりものの人生にすぎず、本当の人生には不必要なものだ。人生の意味は、自分のこの手でつかむリアルな実感にこそある。他者を自分の意のままに加害することで得る『自由』な感覚も、うそものでない本物の体験である。これから行うゲームは、退屈な日常をスリリングなものに輝やかせる最高の『魔法』なのだ」。これは、小説家で著者・川上氏が自身に突き付けた問いなのではないか。この物語は、二ノ宮の思考を突破できるのか。

三度、「コジマ」と呼ぶ

 

川上未映子「ヘヴン」25/「僕」の脳裏には「リンチ」という言葉が浮かんだのかもしれない。切迫して教室から廊下に飛び出るとコジマに出くわす。彼女は汚れた、ゴミのバケツを持たされている。学校ではお互い話しかけない二人。「僕」は、この時初めて学校で「コジマ」と名前を呼んだ。いぶかる彼女の前で、もう一度、そしてさらにもう一度「コジマ」と呼んだ。自己の崩壊を前にして…想う…懐かしく、愛おしい存在…。

池上彰、「有名」バブルでモミクチャ

 

人気絶頂の池上彰氏が、レギュラーのテレビとラジオを春で降りると宣言。メディアがつくる「池上」像が、自身のプロフェッション(自負する仕事の内容)と逸脱したからか。だとすれば誠実。相変わらず、メディアによる有名人報道の一極集中がひどい。「旬の人」を製造しては、ポイ捨てしている。一方、その人の知名度瞬間風速が最大になれば、政治界からその人に声がかけられる風土はいかがなものか。「有名」なことだけが政治家の資質では当然ない。これに乗らないでね、池上さん!  ところで、似顔絵あまり似てません。おでこがもっときれいな半円形でした…。

命令と服従

 

川上未映子著「ヘヴン」24/苛められっ子は、親にこの現実を言わない。それは、思春期特有の自尊心、羞恥、また自分たちの社会を大人は理解はできないとする絶望感からか。「僕」も逃げ道を見い出せない。「学校に行きたくない」と、悲鳴をあげている。しかし学校という世界の他の可能性なと゜、14歳の少年には想像できるはずもない。苛めっ子の絶対的命令にねじ伏せられ、ひたすらただおびえ、服従するしかない。その状況は、心を徹底的に痛めつける。

フライングでは?

 

1/22の報道特集にて、元海上保安庁・一色正春氏のインタビューシーンを見る。匿名でユーチューブに投稿したのは、「確実に世間に映像が流れるからだ」と。メディアではCNNに投稿していた(公開せず)。「すぐにばれると分かっていた」と、処分への覚悟はあった。ただ、それだけの覚悟があったなら、当初から実名で、組織内部から有志を募って行動すべきだったと思う。少し焦りすぎたのでは。この人や家族が、今後賛同の喧騒や、バッシッングの渦に巻き込まれていくであろうことが心配。

心の闇という汚物

 

川上未映子「ヘヴン」23/二ノ宮と取り巻きの行為は、残酷だが無邪気とも思える。人がどの程度の侮辱まで耐えうるのか、確かめているような気配すらする。一方、それを受ける「僕」は圧倒的な心の暴力にさらされることになる。机のゴミは、クラスメイトが抱える鬱屈、心の闇そのもの。苛められっ子というはけ口の存在で、精神の均衡が保たれるような閉じた社会は、異常である。

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