軍旗になびいた詩人・光太郎

 

集英社「戦争×文学」2/第8巻「たアジア太平洋戦争」の「十二月八日の記/高村光太郎」より。個人の切々とした愛の詩集「智恵子抄」の作者が…と思う。鋭敏な詩人ほど時流に没入してしまうのか。芸術家たちが所属する集団の戦いを鼓舞するのは、歴史的には当たり前なのかもしれない。対する欧米のアーティストも大いに国威発揚の作品をつくった。日本も勝ってれば、そんな人たちをほめたたえよう。しかし敗戦後、光太郎は糾弾された。にもかかわらず、彼の詩は、今も人々の心を揺さぶる。国や集団を突き抜けた命の賛歌がうたわれているからだ。だからこそ、戦時中の光太郎の姿はなぜか割り切れない。昭和22年、すでに亡くなった奥さん智恵子に「報告」という詩を捧げた。「日本はすっかりかわりました。あなたの身ぶるいする程いやがっていた  あの傍若無人のがさつな階級(注/つまり軍人)が とにかく存在しないしないことになりました」。奥さんは、戦時下の日常、国や社会が醜くなってる、と、詩人に訴えていた。

コメント
>芸術家たちが所属する集団の戦いを鼓舞するのは、歴史的には当たり前

当たり前というか・・そうでないと生きていけないというのが正しい気がします。芸術家も芸術でご飯食べてますからね。戦時下だと売れないものをかくどころか、しょっぴかれて生命の危機もあるでしょうから、仕方ないと思います。しかし、そんな中でも自分の訴えたいことをひそやかに忍ばせて作品を作っているからこそ、心打たれるものもあるのだと思います。

まあ、今の時代は、何を言っても国からしょっ引かれはしませんが、結局、スポンサーやら、外交問題やら、クレイマーなどを気にして、自主規制という名の下に、黙殺される現状があるので、自由な報道万歳とかも正直思えません。昔より、マシになった程度だと思いますね。
  • マナル
  • 2011/06/16 12:07 AM
反戦も環境問題も時流だと思います。今、これを鼓舞しない表現者は、社会的に孤立するでしょう。問題は表現者
の「鼓舞」だと思います。それによって他の意見を認めない社会的雰囲気をつくる「加害者」になることが危険ではないか。結局、それは表現者を含め、普通の人の首を絞めていく。社会を極端に走らせますから。よく思うのは、戦後直後の20代前後の人の衝撃。昨日まで「鬼畜米英」で、翌日「デモクラシー礼讃」を大人の表現者が叫ぶ。表現や思想に対して「裏切られた!」とずいぶん腹が立ったと思います。あの時代の若者が、後に強烈な表現者になった人が多いのは、青春時代の怒りがずっとくすぶっているからと聞きます。表現は時流に乗らないと成り立たないけど、時流を懐疑する「毒」をどっかで混ぜてないといけないのではないか。毒とは、時流を離れた永遠とか、人間の変わらない本質から見た視点、といったらいいか。それは、影響力が大きい表現媒体ほどやりにくくなる。でも、「ひそやか忍ばせること」は、きっとできるはず。
  • 旅人
  • 2011/06/16 8:23 AM
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