解脱の罠にはまった人

 

宗教学者・島田裕巳著の

『オウム―なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』

(トランスビュー)を再読中。

500ページの大部の本だが、いろいろ勉強になる。

 

客観的な記述から、

教祖・麻原彰晃という人は、探求心のある努力家で

人心把握力、宗教的天才があったことが読み取れる。

真面目である。

そして彼を慕う信者も痛々しいほど真面目である。

ただ、麻原は、多大な努力によって築き上げた教義に

自ら喰われてしまった。


ターニングポイントは、

修行中に急死した信者を道場の敷地に

埋めてしまったことにあるという。
この事故によって、

オウム教団が当時行政に求めていた

宗教法人の認証を得られなくなると恐れたからである。

その後、死体を埋めさせられ動揺したある信者を、

外部に事故のことを漏らしそうだからと、

麻原の指示で信者たちが殺してしまった。

 

「ポア」という理屈がここで出てくる。

(教団に害をもたらすような)悪人は、

この世でより悪行を積む前に、

解脱者のグル(麻原のような存在)の判断で

殺してあげて、良き転生に導いてあげるということだ。

動揺した信者を殺すことは、ポアであり、

善行であると、殺しの罪悪感にさいなまれる

信者たちを納得させたのだ。

ここから地下鉄サリン事件のテロリズムへと

つながっていくと、著者は指摘する。

 

この行為は客観的にみれば、

どうしたって罪隠ぺいの欺瞞であり、

煩悩にとらわれた行為そのものでしかない。

麻原は、事故死の時点で救急車と警察と呼び、

世の中の指弾をきちんと受けるべきだった。

その結果、教団が瓦解してもよいはすだ。

彼らが出発点とする仏陀は、

サイの角のように一人歩めというではないか。

「悟り」を得るのに、本来教団などオマケである。

そもそも、なくてもよいものだ。

 

また、麻原は、自ら描いた解脱のヴィジョンを

どうやら体験してないらしい。

実は「解脱者」ではない自信のなさが、

教団、信者たちを悪しき方向へ

導いてしまったのではないか。

 

解脱を強烈に求める心こそ、

煩悩の深みにはまりやすし。

 

 


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