渋谷ハロウィンへの設問

 

ハロウィンの日、渋谷が仮装する若者たちの無頼で

ひどく混乱した、という報道あり。

楽しそうな人の群れに、警官の列が対峙している

写真が印象的だった。

民と権力の対峙ではあっても、

ひどく退廃的、かつ、いたって平和にも見える。

 

世論も識者も、この現象を「若者の劣化」とざっくり評す。

フランスの若者たちが、喜々ととしてプラカードを掲げ、

政治的言説をとなえながらデモ行進するのと比べると、

日本は民度が低いのか、と嘆かれる有徳の人もいるかもしれぬ。

 

でも、本当にそうか。

日本の若者もフランスの若者も、

根っこは同じではないか。

既成概念というしめつけに対するうっ憤を

どうにもならない若いエネルギーが

ぶっこわそうとしているだけなのではないか。

つまり、たいして珍しくもない。

どちらも「祭」の変形にすぎないと思う。

 

問うべきは、

なぜ、渋谷とハロウィンが重なった1点となり、

そこに無頼エネルギーが集中したのか。

掘り下げると、何が見えるのだろう。

 


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