あちら側に行ってしまったガール

 

DVDで、デヴィッド・フィンチャー監督の

『ゴーン・ガール』を見る。

 

知能指数抜群の妻が、不倫した夫に徹底復讐する映画である。

妻は犯罪がらみの失踪事件を装い、

マスコミを巻き込んでの大騒動にしたてる

というのが大筋。

 

夫は、ライターで、頭も良くハンサムだが、

妻に比べれば平凡な人である。

 

妻の方は、児童文学のモデルになるほど才色兼備で、

夫をはめるしかけも尋常ではない。

自分の血を抜き、キッチンの床にぶちまき、

雑に拭って、後の警察の調査で、

なにかしら犯罪のあったことをにおわせる。

夫から虐待のあったという嘘の日記を書き、

少し燃やして、隠しておく…など

やることがいちいち変質狂的に計画的。

その動機の一念は、若い女性と不倫した女性を

やりこめることであるのは、

ドラマの途中で知らされること。

えっ?! 、こんなシンプルな動機なのと驚いてしまう。

 

映画の中のテレビのワイドショー番組は、

かっこうの話題としてこの

失踪事件をヒステリックに取り上げ、

夫を世紀の悪者にどんどん仕立てていく。

夫側は、著名な弁護士をなけなしの金を支払って、

メディアで応戦。

このへん、アメリカの訴訟社会やメディアの悪辣さが

よく分かって面白い。

 

結末の詳細は言わないが、

妻は「誘拐犯」のかえり血を浴びて「愛する」夫の元に帰り、

世間は英雄的女性としとて彼女を祭り上げる。

一方で夫は妻に対して心の底から怯えてしまう。

「おまえはいったい、何を考えているのか…」と。

同じ屋根の下に暮らしても、

夫婦とはやはり他人である。

自分という宇宙に、相手という宇宙が併存するだけで、

実は不気味なほど未知な存在なのだ。

 

映画の妻は、

夫からの真からの愛はきっぱり諦めているようで、

さっぱりしている。

復讐劇をぞんぶんにやり終えたという

充足感すら表情に浮かんでいる。

世のぼんくらな夫たちは、

鋭敏な妻たちの恨みを、そのぼんくらゆえに

無意味に募らせている気もしてくる。

世界的傾向として。

 

 

 


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