「因縁」を弦に、「存在」を鳴らす

 

パンク般若心経4/本によると、仏教では「因縁」をやかましくいう。お釈迦様が、それを発見して悟り至ったからだ。パンク般若青年を見ても、彼の心身が、因縁の複雑な糸で編みあがっているのが分かる。上図はごく単純化したものだが、彼が存在する「因」の大元はもちろん両親。そこから因縁の糸が伸びる。そこに向かって、様々な別の「因」が現れ、また格自の因縁の糸をからめていく。別の因とは、多様な人、食事、文化、事件、言葉、時間など、出会う一切のもので、各因縁の糸を伸ばして影響を及ぼし、現在の彼という「果」を形作っている。そして「果」は即「因」となり、また新しい因縁の糸をうじゃうじゃと生やしていく。頻々と起こる因果の間で、彼は、果てしなく、川の流れのように変化していく。ここでは因縁の糸を自分から取り出して、エレキの弦にし、彼自身を物悲しくかなでている。因縁の自覚は、なぜ重要なのか。「苦」を滅却する処方箋だから。この続きは、何週間後に、つづく…。

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