「戦争」を、読み解こうじゃないか!

 

「戦争と文学」/「意欲的!」と、思わず食い付いついてしまった出版企画。集英社がシリーズ「戦争×文学」全20巻+別冊を、今後各月1冊ずつ刊行していく。「日清日露の戦いから9.11まで」の短編を、戦後生まれの編集者が厳選、まとめたもの。早速「アジア太平洋戦争」を購入。庶民、戦士、文官、捕虜などあらゆる視点があり、この戦争を立体的にとらえる。編集が冴えている。自分はじき43歳。だが、上のギャルと同じで、幸いにも戦争を知らない。ただ、戦争に直面し、それを綴った書き手の心理が、若い頃より少し分かるようになった気がする。20巻に挑戦して戦争を「体験」し、戦争について考えてみよう。ちなみに、イラストの兵隊さんは、「アジア」の口絵の一枚、橋本関雪「讃光」(1943年)の絵の一部を参考にしたもの。

プロローグ「戦争体験」

 

集英社「戦争×文学」1/戦争を知らない。しかし、不思議とうっすら体験したような気がしている。それは10歳か11歳の頃か。昭和53、4年に開催された戦争展で、太平洋戦争での日本軍の遺品を見た。弾痕や焼けこげ、血の痕があった。現場の阿鼻叫喚を察知して、ゾッとし、押し潰されそうになった。外に出ても今の時間に戻らなかった。抜けるように青い空と白い入道雲は、奇妙に明るく、変だった。戦争の暗さと比して、あまりにあっけらんとしていた。その時、晴れ渡っていたという1945年8月15日終戦の日の空の下に、確かに自分はいる、感じた。子供の無防備な心は、一瞬時空を超えたのではないかと、今でも信じている…。では、戦争の本を読み進めよう。

軍旗になびいた詩人・光太郎

 

集英社「戦争×文学」2/第8巻「たアジア太平洋戦争」の「十二月八日の記/高村光太郎」より。個人の切々とした愛の詩集「智恵子抄」の作者が…と思う。鋭敏な詩人ほど時流に没入してしまうのか。芸術家たちが所属する集団の戦いを鼓舞するのは、歴史的には当たり前なのかもしれない。対する欧米のアーティストも大いに国威発揚の作品をつくった。日本も勝ってれば、そんな人たちをほめたたえよう。しかし敗戦後、光太郎は糾弾された。にもかかわらず、彼の詩は、今も人々の心を揺さぶる。国や集団を突き抜けた命の賛歌がうたわれているからだ。だからこそ、戦時中の光太郎の姿はなぜか割り切れない。昭和22年、すでに亡くなった奥さん智恵子に「報告」という詩を捧げた。「日本はすっかりかわりました。あなたの身ぶるいする程いやがっていた  あの傍若無人のがさつな階級(注/つまり軍人)が とにかく存在しないしないことになりました」。奥さんは、戦時下の日常、国や社会が醜くなってる、と、詩人に訴えていた。

開戦時の裂け目

 

集英社「戦争×文学」3/第8巻「アジア太平洋戦争」に掲載の上林暁著「歴史の日」(上の絵)、豊田穣著「真珠湾・その生と死」(下の絵)より。両短編を読むと、12・8開戦」という歴史的事件は、伝えられる側と現場とはまるで世界が違うことに気づく。庶民は報道による国威発揚で、素朴に国運に身をゆだねている。一方、華々しい戦果のあった戦場の現場は、あまりにもお粗末な装備が示す、戦略の危うさが、もう生じている。特殊潜船艇とは、米軍の艦船に迫る肉弾である。海の特攻隊だ。小説の主人公・酒巻少将は、貧弱な艦船の事故で米軍の捕虜になる。この二篇で、報道について考える。事象のニュースを受けとる側は、日常生活の中で解釈している。でも、現場の危機は、やがて平凡な日常を蝕み、破壊する脅威となる。現場の破たんを、知るべきときに知れなかったからだ。本当のことは、今も伝わりにくい。

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