後ろ姿の風格

 

絵本をよむ1/

 

絵本を図書館からめくらめっぽう借り出しては、

猛烈に読んでいる。

周期的に訪れる発作のようなものだ。

 

書道家・乾千恵の『月人石』(福音館書店)を再読。

やはりいい本だ。

「絵本」というより写真集だが、

彼女の書を「絵」ととらえれば絵本である。

左ページが書で、右ページが写真家・川島敏生のイメージ写真となる。

写真右端に、詩人・谷川俊太郎の文が入る。

実に贅沢なつくりの絵本。

 

書は、扉・猫・風・音・馬・影・水・石・火・山・蟻・月・人の

12文字が1文字1ページずつ。

字の形態が写真と響きあって楽しい。

詩がピシリと入り、作品世界を深くする。

 

書は、ふくいくというか、

心の水量がたっぷり豊かというような。

「水」なんて字は、太い水がドボトボうねってるよう。

「音」は、太鼓の写真とかけあって、バチバチ鳴っている。

「山」は、「かなしみを うけとめている しずかなやま」の

詩が泣ける。写真は優しいなだらかな、まさに日本原風景の山。

書の山がまた「うけとめてくれる」大きな器みたい。

 

「人」の写真は、当初、写真家のイメージでは赤ちゃんだった。

それを詩人が、書道家の後ろ姿にしようと提案。

人の風格は後ろ姿に現れる、とするからだ。

乾さんは障害のある人らしいが、

書の「人」と響いてとてもいい姿に映ってる。

この人のうねった体そのものが、水墨の文字に見えてくる。

赤ちゃんより断然いい。

赤ちゃんは「白紙」であり風格は出ない。

この写真で、この絵本は名作になった。

詩人の直観は鋭いのだ。

 

おススメの絵本。

どこの図書館にも置いているはず。

 


ナイアガラの女王

 

絵本をよむ2/

 

「絵本の魔術師」といわれる

クリス・ヴァン・オールズバーグの『ナイアガラの女王』も

かなりシュールな作品だ。

 

未亡人62歳の教師アニー・テイラーが、

自営の学校が流行らなくなり、老後の生活を思いつめる。

今更、店員や掃除婦をやるにもプライドがある。

そこで思いついたのが、

ナイアガラの滝を、樽に入って下り、

有名になって金持ちになろうとのこと。

ムチャクチャな発想である。

そして、それを実際にやってのけた!

しかも、この話は20世紀初頭にあった実話である。

(ただアーニーは金持ちにはなれなかった。

そこのところも、絵本はユーモラスに描いている)。

 

オールズバーグは、幻想的なビジョンを、

淡彩でリアルな描写によって現実化していく作家だ。

『ナイアガラ』は、いつもとは逆に、

「現実」の中の「幻想性」を具体化している。

樽の中に入ってナイアガラを下るという

いい歳をした淑女の試みの中に、

現実を幻想にする魔術を、オールズバーグは察知したのである。

 

ラストページがふるっている。

おばさまアニー・テイラーと樽のセピア調写真が

紹介されている。

やはり本当の話なんだと思うと、愉快である。

しかも、彼女のあとに続き「滝下り」して成功した面々の

名前を4行書き入れている。

だが、唯一の女性は、最初にやってのけた

アニー・テイラーその人。

 

こうした無謀の人がいて、

またそれを芸術的に表現してしまう人がいるのは

アメリカの面白いところ。

 

 

 


神々の母

 

絵本をよむ3/

 

強烈な絵本に出会う。

『神々の母にささげる詩(うた) 

  続アメリカ・インディアンの詩』

金関寿夫 訳 秋野亥左牟 絵(福音館書店)だ。

 

上は絵の一部で、下の詩にそえられた。

「…さまよいながら

   かの女は鹿の心臓を食べていた

 かの女は わたしたちの母だ

   大地の母

    かの女は羽毛の

 服を着て

   身体に粘土を塗りつけている…(一部の詩)」。

 

秋野亥左牟の絶筆。

インディアンと暮らしたり、

沖縄やネパールに移住したり

インドやロシアを放浪したりした。

フィーリングが合う人だ。

 

 

 

 

 

 


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