今年のベスト本へ、ダイブします

 

川上未映子、まるでモデルさんみたいだが、小説家、詩人、ミュージシャン、演劇もやる多才な人。芥川賞作家でもある。彼女の『ヘヴン』(講談社)は、人間の深淵を裂いて露呈させてしまう恐るべきドラマ。看過できない問いをたくさん発するので、それを一つひとつ考えたいと思う。これをやらないと前に進めないような気がするからだ。ドラマの中のワンポイントの現場に立ち寄り、そこで思考したことを旅ルポ形式でご報告したい。これは小説への「旅」。うまくいくかなぁ…。

見通しもなく、始めます…

 

「読みルポ」って、造語です。本を読んで思い浮かべた状況を「現場」と見立てる。そして、そこで考えたこと、思った自分の想念を、実際に起こった「事件」として、絵と文で記す。と、イメージしています。評論でなくて、本のシーンごと生きてみる、といった試み。つまり、ページの向こうは未来の世界ということ。見通しもなく、タッチもどうするか…とにかく、始まってしまいました…。

小さなメッセージ



川上未映子著「ヘヴン」 疹紊亮膺邑「僕」は、中学2年生、14〜15歳。著者の川上氏は、時代設定を、自身が中学生だった頃にしているようだ。すると1990年前後か。私は川上氏より8歳年上なので、自分が中学生だった頃と重ね合わせて読みこんでも、あまりズレはないだろうと考える。「僕」は、日々学校で、同学級のグループから、苛烈ないじめを受けている。

コジマ、「うれぱみん」と言う

 

川上未映子著「ヘブン」◆深蟷罎篭擬爾隆の中に届くように。そして、公園での待ち合わせの誘い。「僕」はいじめっ子グループの仕業かと警戒するが、行く。砂場のフンを見て、これを食わされるのかもと油汗。だか意外な女の子、クラスメイトのコジマが待っていて面食らう。手紙のやり取りをする約束を交わす。彼女は「僕」が彼女を受け入れて、思わず「うれぱみん」と言う。孤立した二人が、「友」という居場所を見つけた瞬間。

おもねる者、おもねられる者



川上未映子「ヘヴン」/学校という閉鎖空間の中で、力の差が、ヒエラルキーを、おもねる者とおもねられる者を生む。教師も二ノ宮には一目置く。女子がスター扱いもし、クラスでの地位は絶大。彼の指示で、いじめの実働部隊が動く。だが、百瀬のほうが興味深いキャラクターだ。彼は唯一二ノ宮と対等でいながら、指示すらしない。いじめの背後にいて、何らかの影響を与えている。そして、このグループに絶対なくてはならない存在、それが「僕」という「いけにえ」である。

ゲームとしてのいじめ

 

川上未映子著「ヘヴン」ぁ燭い犬瓩訛Δ蓮怪我という「証拠」を残さない程度の暴行を加える。計算高く、保身的ともいえる。この行為が、自分たちの加害であると問題化されれば「やばい」ことは認識しているわけだ。内藤朝雄著「いじめの社会理論」 では、いじめる側は、いじめを通し、相手を物のように自分の思いどおりにすることで、全能感を得るという。いじめはスリリングな楽しいゲームとして体験される。もちろん、いじめる側の話である。

言葉の力

 

川上未映子著ァ深蟷罎良垰弋弔蔑蓮A蠎蠅慮斥佞鬚ちんと受け、じっくり考え、自分の考えを整理し、返事をする。細かい感情のふれは筆跡から読みとる。そこから、孤独な心の深い交流が生まれる。言葉によって、いじめが支配する暴力渦巻く外界から身を守る場所を、二人は少しずつつくっていく。作家・川上氏の言葉への信頼を感じるシーン。

誰も止められない暴行



川上未映子著「ヘヴン」Α申子のターゲットはコジマである。その残酷さは男子と変わらない。 男子のいじめられっ子である「僕」は、そんなコジマを無力に見守るしかない。そして、この暴行を止めるものは誰もいない。もし「止めろ」と言えば、今度はその勇者がターゲットになるだろうから。今も日本の学校に偏在するいじめ社会とは何なのか。形成要因は何か。そんな問いを発する間もなく、いじめ社会の真っただ中に生きる「僕」とコジマは、ただひたすら暴力に甘んじる。はがゆい。

不安に満ちた人生のささやかな足場



川上未映子著「ヘヴン」А織灰献泙砲箸辰得こΔ鷲坩造頬ちたものでしかない。また、「僕」と一時を過ごすような「安心」な幸福な時も、不安の中にポツンとある非日常に過ぎない。そこで、不安や安心な状態でない、確固とした私、コジマの言うところの「標準」を、彼女は求める。「標準、標準」とつぶやきながら、学校の物をハサミで少しだけ切る行為となる。決して、その物の持つ性質を破壊せずに、ささやかに切る。大切とされる物を壊さず切ることで、彼女は自分という存在の痕跡をしっかり刻みつけようとしたのか。生きる足場をつくろうとし、クラスメイトに訴えているようにも思える。だが、騒ぎとなって、この行為はひそやかに終了した。

「言葉」を探す旅へ

 

川上未映子著「ヘヴン」─親暫罅言葉が話題になる。「言葉がなかったら、どんな風になるんだろう」と「僕」。「人間だけだよ、言葉を話すの。犬も花瓶もしゃべらない。言葉でああだこうだ話して、問題をいっぱいつくる人間って馬鹿みたいね」とコジマ。でも手紙で言葉をつむぎ、いじめ地獄に耐え抜く二人は、言葉の力を知り始めている。人の心は物ではない。心は言葉なのか。だから心が心を傷つけ、また癒す。ボロボロの二人が目指す「ヘヴン」とは、どこか。

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