熟成期間

 

8人分のインタビュー取材が溜まっている。

これを形にするには、数カ月かかりそうだ。

膨大な言葉の層が、自分の中で結晶化するには

えらく手間と時間がかかる。

最近は、もっと事実を切り貼りして

視野広く書く記事わ切実に書きたいと思うが、

ますば手持ちのものを形にしてからと。

 

思春期の子が「サナギ」になって外界を

遮断するように、

仕事においても「サナギ」化して、

自分にこもりきる期間をつくらないと

「熟成」しない。

 

生きることは、「サナギ」と

「脱皮」の繰り返しなのだろう。

子どもの場合、それは「成長」ということになるが、

大人の場合は「深化」と言ったらいいのか。

とにかく莫大な「孤独」が必要である。


おぞましき人間

 

大谷翔平が、通訳・水原一平による横領を

説明する記者会見をYouTubeで見る。

大谷の冷静な話しぶりには驚嘆するが、

本当に不思議な事件だと思う。

 

スーパースターが新たなチームでの

異国の地の開幕戦という「門出」、

自身の結婚も発表しての公私における人生の絶頂、

しかも注目度もピークの折に、この事件である。

膨らんだ風船への針の一刺し…どころか

ボタンで一押しの大爆発である。

 

世界の暗い世相を、輝く大谷の「光」に慰安していた

群衆の悲鳴と落胆が木霊する。

事件の発端が身内だから、その潔白はどうしても濁る。

大谷の「清廉」なイメージにおける

ダメージは計り知れない。

 

糾弾されるのは、当然、水原ということになる。

しかし、同情しないこともない。

一連托生の友人の、手に届くうなる大金を見て、

「ほしい」と思うのはやはり人情だ。

それもギャンブル依存症であれば。

手を出して華々しく破滅したことこそ、

彼の救いである。いじましい打算を超えているから。

水原は、大谷の巨大な「影」を知らず知らず

背負わされた気がする。

 

大谷の「成功」は、この世の莫大な情欲を

吸い込んで異様なものになってしまった。

これは本人のせいではない。

だから、おぞましいのだ。

 

アウシュビッツの本を翻訳した碩学が

書いた本を、今読んでいるが、

ページ冒頭に、精神病者の創作した美術作品の

写真がある。

頭から足が生えて爪先立つ奇形の人間の姿だ。

「貧欲な目」「食と性への野卑な、はげしい関心」

を持った「現代人の象徴」と作家は書く。

今の奇妙にいたたまれない感情が

そのまま形になったような気がして、

模写してみた。


即席「ぬか漬け」的なるもの

 

糖尿物語/

 

ジップロックに、

ナスビとキュウリの切ったやつを入れ

塩麹を大匙3杯まぶして、半日放置。

いい具合にしんなりしてくる。

 

さっき、2、3切れつまんでみたが、

甘くなって美味しい。

だが時間差で、胸のあたりが少しホカホカ。

結構、塩辛いのかな。

 

糖尿レシピ一つ増える…と思うが、

これ合ってる?

 


もぅっ!

 

朝から、ある公的な申請書を

書かなければならない。

実に分かりづらく、面倒くさい。

早く仕事をしたいのに。

お役所仕事の一端のまどろっこしさに

ふれるようでイライラ。

 

「お前は何を言っているのだ?」と

やはり心の奥から木霊する。

「メソポタミアの大地から出てきた

古代の土片に書かれた最古のくさび型文字を

解読すれば、羊が何頭…といった

お役所文書だったというではないか。

お役所文書は文明だ!」。

 

なるほどそうかと心を静める。

それでは間違いなきように書こうではないか。

ミスがあれば、突き返すとあることだし!

 

と、ぶつぶつ言っていると、

心に浮かんだのは上の図。

いったいこれはなんだ?!


「それでも生きる」とは

 

夕暮れ、階段道に腰掛け、

韓国のまちを眺める2人。

売春の疑惑で補導された不良少女チャン・ウンスと、

警察で大暴れして彼女を奪い返した老婆チョ・ジョンブン。

両者は血縁関係でもない、隣家の友人にすぎない…。

 

映画『雪道』(2017年作、イ・ナジョン監督)の

ラストに近いシーンである。

 

ドラマ自体は、老婆ジョンブンによる

日本軍慰安婦の壮絶な記憶が、

現代に生きる2人の話と交錯して進んで行く。

 

ジョンブンは1944年当時、ある韓国の農村の貧しい家の少女。

彼女は、豊かな家の少女カン・ヨンエと共に、

有無を言わさず日本軍に連行され

慰安婦の収容施設に放り込まれる。

日本の勤労挺身隊に志望していた誇り高きヨンエは

二重に裏切られ、その耐えがたい生活に憤怒。

収容施設を脱走し、池の氷を石で割って死のうとする。

「もし自分が彼女であったら、

同じ憎しみに身を投じたろう」と血がカッとなる。

それを寸前で止めたのが、ジョンブン。

彼女は、どんなことがあっても、いつか収容所を脱して

生き抜く希望を説く。

その時は、日本兵に見つかり、髪を引きづられ

戻されてしまうが。

 

ストーリーは痛切。

2人の少女は、後に施設脱走に成功するも、

ヨンエは雪の平原で力尽きて死ぬ。

ジョンブンは一人、過酷な戦後社会を生き抜ぬくことに。

だが、それは収容所より地獄だ。

貞心敬う儒教国家の中で、肩身狭く、

ケアもろくにされず、傷ついたまま社会の片隅で老いていく。

 

この映画が並みの作品でないのは、

慰安婦の経験を経た女性の強さと癒しの姿を、

現代の不良少女との交流を通して描き出したこと。

「人生はろくでもない。だが生き抜かなければならない」。

そう諭した老婆ジョンブンの確信が、

生きづらさでは同じ現代っ子も癒していく。

だから冒頭のシーンが好きなのだ。

「お前にはまだ早い」と

ウンスから手持ちのタバコをひったくった姿に、

これぞ、修羅場をくぐった大人の風格なのだ。

こんな大人、今、めったに目にかかれまい。

 

慰安婦時代の少女を演じたキム・ヒャンギと

キム・セロンの演技が素晴らしかった。

いじらしくて、美しくて、気高い。

 

ちなみに、この映画が上映されたのは、

両国にある本所緑星教会。

「大手映画館が配給しないため、

ここでこそ上映したい」という

同教会の神父さんと慰安婦問題にかかわる市民団体が

手弁当で実現。

主催者の熱意こもったよい上映会で、希有な名画だった。

その情報を察知した友人に誘われ、共に見る。

 


愛って?

 

「結合し得ざるももの結合」という

インドの絵を模写。

 

「水と火の結婚」を意味しているそうだが、

ずばり男女の「結婚」そのもの。

打ちし合うもの同士が、

ひしと抱き合っているわけである。

不調和はなはだしい。

 

「結婚」が幸せかどうかの結果は人による。

気の遠くなる労苦が伴う大事業であるのは確かだ。

ただ真の結合が成功しているカップルは、

輝く「奇跡」として賞賛に値する。


分裂

 

水原一平さんが「ギャンブル依存」というのを聞く。

「依存症」については、最近なじみがある。

その当事者や支援者に会い、取材する機会が、

なぜか増えているからだ。

明確に知ったことは、「依存症」は「病」ということ。

 

一平さんが、あの輝かしいすべてのキャリアと

境遇を全部ドブに捨てるほどの

猛烈な病なのである。

 

その姿を外から見れば

分裂した「善なる一平」と「悪なる一平」の

前者が後者に飲み込まれる様子となる。

 

あらゆる存在は分裂している。

分裂したものが、バランスを持って

調和しているのが、心穏やかに生きている状態である。

それは、容易にアンバランスになる。

 

だから分裂してたものは、一度は融合して、

統合しなければならない。

戦士ゲドが「己の「影」を抱きしめ、

「光」となったように。

それは生涯をかけた大事業なのだ。

自分は自分の「悪」に最大の関心がある。

他人の「悪」は、鏡に映った己の「悪」。

だから、よく学ぶことができる。


必要のない悪

 

ドジャーが、大谷翔平の通訳を務める

水島一平を解雇したとの速報。

水島が、違法らしき「ブックメーカー」に賭けるため

大谷の資金、数百万ドルを着服したという。

 

通訳・水島といえば、1000億円プレーヤー大谷の

側近なのだから、数億円の年収もあろう。

「着服」なんて必要ないはずだ。

 

「聖人君子」とされている好人物の「悪」は、

ショッキングであるとともに不可解である。

彼は、世界のヒーローの顔はもちろん

自分の顔にも、もうぬぐえ切れないほど

の真っ黒な「泥」を塗ってしまった。

いや、まだ疑惑の段階なのか…。

 

「悪」は、やはり人間の根源に巣食う。

プーチンがウクライナを襲うのも

どう考えても必要なのない行為。

だが人間は、それをやる。

「悪」は、必要なしにやるから、

「悪」たりえるのだろうか。


ヒョロリ…


むむむん…


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