悔恨

 

余った画用紙に描いたノラ・ジョーンズ。

本を置いてスキャニングしたら、

額縁みたいになってかっこよくなった。

 

ゆったりしたい気持ちのときは、

この人が歌う「ドント・ノー・ホワイ」がおススメ。

 

日本語訳で歌詞を改めてみたら、

ふいに分かれてしまった恋人に対する

悔恨を歌っていた。

 

では、お聴きください、甘くて苦い想いを…

https://www.youtube.com/watch?v=tO4dxvguQDk

 

 

 

 


感嘆符的に使えばどうか?

 

「死語」復活2/

 

新しいもの、センスの良いことなどを、

今風で「ナウ」だと評価した言葉が「ナウい」である。

たしか1980年代半ばに流行ったように思う。

正確には、「ナ〜ウイじゃん!」と言って使った

(大阪弁で「ナ〜ウイやん!」とはならない)。

 

当初は、すかした、脱力した感じで

この言葉を発すること自体が、

「ナウい」、つまりかっこがいいとされた。

 

しかし、今、この言葉を使うとダサく響く。

これは不思議なことである。

古い感覚で今風を評価するから

(つまり、「ナ〜ウイじゃん!」と言うこと)、

古い感覚と今風が、

より先鋭に対比的に意識されるからであろう。

 

では、「ナ〜ウイじゃん!」という脱力系ではなく、

「ナウい!!」と強く言い、感嘆的、直接感動的に使えば

どうだろうか?

少しニュアンスが違って、

新鮮に響かないだろうか?

上のイラストは、その実験である。

 

 

 

 


「死語」復活!

 

「死語」復活1/

 

かつて流行った言葉で使われなくなったものを

「死語」という。

その一覧がネットで公開されていて読むと、

なかなか味わい深いものである。

忘れかけたところで

今現在に持ってくると新しい響きになるものだ。

口にすると、年齢が判明し、

ダサく聞こえる古び方がちょうどよい。

 

上の言葉は、子どもの頃によく使ったものだ。

「そんな馬鹿な!?」を「そんなバナナ!?」と

ダジャレれるわけである。

バカとバナナの響きのアホっぽいところが

良いのだろう。

バナナの皮ですべる人の愚かな姿のイメージが

無意識からわいてくるの関係しているのかもしれない。

 

「死語」の再生、復権、復活、いいなぁ。

ちょっと、シリーズにしようかな。

言葉のリサイクルに挑戦してみよう。

 

 


ハデかわ帽子

 

いつも机の前にある古語辞典を何気に開く。

普段、あまりお世話になることはない。

 

変な挿絵があるので読んでみると、

「桔梗笠」というらしい。

解説通りの色を塗ると、こうなった。

ハデ可愛くていいね、と思う。

 

渋谷の109で売ったら、

結構受けるのではないか。

 

 


ほとんどブルー…

 

「ああ、寂しいなぁ」と、

男が一人、高架下の飲み屋街を歩く。

ずらり並ぶ居酒屋の店々から、笑いさざめく声。

街頭でサンタクロースのかっこをしたお姉さんが、

「駅前天然温泉 なんとか湯」の広告が入った

テッシュペーパーを配っている。

 

カラスが頭上で「カァ」と泣く。

 

ボタ雪の一片が、男の瞼にポトリ、

すぐに水となって頬を伝う。

 

「酒でも飲むか…いや…

こんな日だから、アイスを食って、腹を壊そう…」。

白々明るい蛍光灯が灯るコンビニに入り、

一人、チョコレート入りモナカアイスを探す…。

 

チェット・ベイカーが奏でる

「オールモースト・ブルー(ほとんどブルー)」を

聞きながら、「孤独」についての詩を書いてみました。

 

では、お聴きください、トランペットの青い音を…

 

https://www.youtube.com/watch?v=z4PKzz81m5c&list=RDEMUFtInaqgCsqPYEg_BNw6_w

 

 


瞑想時間

 

カール・セーガンの『コスモス』を毎日30分読んで、

宇宙について瞑想する。

 

星は生まれて以降、どんどんでかくなって

爆発して死ぬという。

 

太陽は、黄色の→のところで、

人でいうとまだ20代あたりか。

この星だってやがてでかくなり、遠い将来、

地球を飲み込んだ果てに爆死する。

これは、ほぼ確実な科学的な知見である。

 

やがて人間の文化や歴史も灰となる。

「私は、確かに存在してました」と

未来に示すお墓なんてものだって、宇宙の藻屑となる。

そう考えると、ボーッとしてしまう。

永遠に比べれば、

「存在」は一瞬灯って消える現象にすぎない。

 

哲学者によると、

「永遠」を導き出す「時間」というのは、

人の「観念」にすぎないという。

では、「永遠」も存在しないのか?

そもそも「存在」というのも

在りもしない観念なのか。

いや「観念」も「存在」も、今確かにあるじゃないか…。

 

ここまで思いつめると、

浮世離れしてくる。

まあ、ポテトチップスでもポリポリ食おう。

 

 


ビニールのワサワサ

 

ゴミ袋がわさわさわ膨らんでいる。

何が入ってるかあらためて見とると、

つまりはビニール・プラスチック系のものばかりだ。

カップ麺の器、魚肉ソーセージの袋、お餅一個一個の袋、

豚肉のプラスチック皿…などなど。

家でもの食うたびに、出るわ出るわ。

みんなこんなんでは、ゴミ焼却場はパンクするはず。

ちょっと異常だなと。

 

 

 


「愛」も「怒」も赤い

 

三木清の『人生論ノート』を読む。

名著の誉れ高いが、なんとなく遠ざけていた本。

ついに読むと、いっぱい良いことが書いてある。

全文警句のようで、どこからでも引用できそうだ。

しかし、結婚式や宴会のスピーチに織り交ぜるには、

内容が深すぎてそぐわない。

 

例えば、こんな一文は、どうか。

「愛は統一であり、融合であり、連続である。

怒りは、分離であり、非連続である」。

 

「愛」の対概念は、「憎しみ」でなく「怒」であるという。

「怒」は、ドカンと人間を罰する神の怒りに通じる

突発的な感情で、暗いものではない。

「憎しみ」は、「怒」の感情に「習慣」がからまりついて、

じくじくと長く続く情念であるという。

 

「愛」で内にひきつけ、「怒」で外へぶっぱなす。

これは血液を出し入れする「心臓」のようではないか。

「愛」「怒」の両方の感じに「心」という文字が入っているし。

では、おおいに愛し、おおいに怒ろう。

それで心に酸素は行き渡り、老廃物は取り去られる。

心身、ピカピカ健康に。

 

 


虚ろなゴシップガール

 

12歳のシンガーソングライターである

グレイス・ヴァンダオールは、一発屋ではない。

どんどん曲を作って、快調にヒットを飛ばし続けている。

瞠目するのは、メロディもそうだが、詩がすごいことだ。

確かに今ただ中の思春期の心を描いているが、

その内容は全世代の人間に通じるから恐ろしい。

 

グレイスは、その鋭い感受性でもって相当な人間不信に陥り、

深い傷を受けたことが、いろんな曲の歌詞からうかがえる。

その深刻な痛みは「ゴシップガール」では

辛辣な歌詞に転嫁されている。

 

姉妹より親しいと信じていた親友が、

打ち明けた秘密をペラペラと人にしゃべくり、

中傷する「ゴシップガール」だったと歌うのだ。

また、その不道徳な女の子をグレイスは

「ピカピカ光るプラッチックの固い殻」と命名する。

綺麗なだけで中身のなんにもない子、というわけだ。

 

「ゴシップガール」は、世の中にたくさんいる。

ワイドショーで血祭りにあげられる有名人のゴシップを

おやつ替わりに楽しく食い散らかすたぐいの人種だ。

 

グレイスはそうした存在に対する怒りを、

「ゴシップガール」とビシリ歌い放つことで昇華している。

「私は、つまらないあんたたちなんか知ったこっちゃない。

私は私の道の道を歩くのよ」と。

 

ただし、グレイスのゴシップガールは、

交際範囲が限られる上、

モデルが特定されてしまうのではないか。

そのモデルは、今、

地獄の責め苦にあっているのかもしれない。

 

では、グレイスの痛烈な一曲、「ゴシップガール」を。

日本語訳付き。

https://www.youtube.com/watch?v=39biymTy4TA

 

 


一流の使用人

 

「樹木画における人格診断法」による絵の模写より。

ただし、模写したのは木の形だけ。

 

この棚状に剪定した木を描くタイプの人は、

「技術的な才能」「模範的な市民」

「教えてもらいたいという態度から脱することができない」

「一流の使用人」と、本には解説されている。

 

う〜ん、なにか退屈な感じがする。

事務的というか。

硬直している。

 

柔らかくなってもらうように、

水色で水浸しにした。

もうちょっと、楽にいこうよ、

不平を言おうよと。

使われてばかりじゃ、つまんない。

「一流」って言われてもね。

 


| 1/277PAGES | >>

このサイト内を検索

sponsored links

携帯ページ

qrcode