アンチ「横並び」!

 

仕事で「引きこもり」を追うジャーナリストの話を聞いた。

この人は、「引きこもり」は結局男女とも存在し、

しかも中年にもわんさと存在することを

本で書いている。

その年齢に自分もどんぴしゃなので、

とても他人事ではない。

読めば当事者の気持ちがリアルにわかる。

 

「引きこもり」の人は、今の社会の中の

人間関係がひどく生きづらい。

タイプとしては、人が考えることを

必要以上に先回りしてとらえ反応して疲れ、

人の言葉に過度に傷ついてしまう。

彼らが、そしてその気分を多く持つ自分も

なによりきつく感じるのは、日本社会の横並び意識だ。

周りの価値基準に合わせろという、

あのうっとおしい同調圧力である。

「引きこもり」の人は、これに拒絶反応を起こす。

合わせられないのだ。

だからドロップアウトする、

世間から見捨てられたような気分になる、

世間も見捨てる。

 

そのジャーナリストの人は、BBCなど外国の取材を受けて、

日本人の引きこもりの背景に

この「横並び意識」を説明したそうだが、

あちらはそれがなかなか理解できないそうだ。

 

欧州には行ったことがないが、

むき出しの個人主義をインド旅行で体験した。

インド人は道で肩をぶつけると「どけ」と押してくる。

席を空ければ、席をすかさず取ってくる。

そのたびに怒鳴って、「お前どけ!」と怒鳴っている

自分に驚いたもの。

だが、変に気が楽なのだ。清々しい。

横並び意識をベースとした気遣いを一切しなくていいからだ。

なにか「戦ってないと、やられる」という切迫感が、

妙にカッカと生きる力になっている

(二三日すると、ぐったりはする)。

 

でも日本に戻ってしばらくすると、

何か薄い膜にでもからめとられるように

いつのまにか息苦しく、身を縮めて暮らしている。

これはなんなのだろうと思う。

 

だから夢想する。

ブラジル人が大挙して住んで大通りでサンバを踊り、

中国人があちらの正月の時期に公園で爆竹を鳴らしまくり、

イスラム教徒がホテルや百貨店のロビーで

敬虔な祈りをささげるような、

チャンポン状態に日本がなればいいと。

そうしたことによって、

この横並び意識の強靭な紐をズタズタに引き裂きたい、

と自分は思う。

 

「ひきこもり」の人は、

内面に押し込められた「怒り」を

もっと解放していいと思う。

自分を沈黙の海に沈めきってはいけない。

「俺は俺」「私は私」と言い切る感情を

殺してはいけない。

 

 

 

 

 

 


君の名は?

 

料理本にある魚を説明する写真を模写する。

あじ、いわし、真さば、さんま、さより、とびうおだ。

実際、一匹一匹、目の前に出されても、判別できないだろう。

魚は切り身で泳いでいると思っている小学生と、

自分はたいして変わらない。

これは、魚にとっては失礼なことかもしれない。

 

ずっと前に見たテレビ番組で、

お笑い芸人が港町に行き、

水揚げされた屑魚を食べられるか、

その場で料理しようという企画をやっていた。 

屑魚とは商品にならない種類の魚である。

 

芸人たちはとたんに目を白黒させる。

どんなに醤油やみりんをぶっかけても

生臭かったり、苦かったり、

ようはどうしょうもなくまずい。

しかし、その屑魚は多種多様で結構な数があるのだ。

 

魚類と呼ばれる生物のうち、

食用にしているのは一部なのだろう。

人間に好まれ、付け狙われる魚こそ、

いい迷惑に違いない。

いや、付け狙われる魚の巻き添えをくって

引き上げられ、「屑」とされる魚こそ、

もっと迷惑な話だろう。

 

そもそも人間に名づけられた認知された魚は、

災難の始まりである。

その名を覚えてくれるなと、

魚は本音のところで思うはずである。

知らなければ失礼といったことではないのだ、きっと。

ならば、覚えないでおこう、

君たちの名前を。

 


ト〜マトって可愛い名前だね♪

 

夜、何気なくトマトの写真を模写する。

なんとなく、美味しそうに描けたなと思う。

 

トマトは夏の食べ物だ。

体がカーッと、あるいはジワジワ熱くなるとき

食べれは実際スーッと冷えてくる。

 

だから冬はやめたほうがいい。

トマト鍋でもしようものなら、

指先から体の芯まで、

ジンと冷えてしまう。

 

もう時期、トマトの季節だ。

缶詰のトマトは濃縮していて結構うまい。

パスタに入れてもいい。

 

そういえば、

人生初期の頃によく口にした歌が、

トマトの歌だ。

♪ト〜マトって可愛い名前だね。

上から読んでもト・マ・ト

下から読んでもト・マ・ト

 

そうさ、これからも

歌って食べよう

ト・マ・ト♪

 


ドンガラドンガラ

 

ドンガラドンガラ、

破れたドラム缶が、ドンガラガッガ

ドンガラガ〜、

グルグルと坂を転げ落ちる…

 

最近、失言で復興大臣辞任に追い込まれ、

有名になってしまった政治家。

言葉尻をとらえすぎ、という議員もいるそうだが、

この人の発言は、やはり底が相当浅い感じがする。

 

もっと腰の据わって、見識も深い人が

復興事業の全指揮を、颯爽と、創意を持って、

天使のように大胆に、悪魔のように繊細に、

取ることはできないのだろうか。

 

そもそも、下につく

役人は有能な大臣は扱いにくくて嫌いだそうだ。

しかし、役人主導の

復興計画は、どうも被災地の声とズレて

進んでいるように思える。

復興事業の遅れで、

誰も住めなくなったゴーストタウンの傍らに、

大きな堤防をどんどんこしらえたり、

除去した汚染土を処分できずに山積みしたり。

 

今回の騒動で、この元大臣の経歴を

ウィキペデアで見たが、

一番驚いたのは彼の軌跡ではなく、

彼が第6代の復興大臣ということだ。

年に1回大臣が変わっている。

このポストは、特別にもっと任期が長くていい気がする。

任期が短いと、首尾一貫した政治力が発揮できないからだ。

もともとどの大臣ポストも、

誰がやってもかわらないのかもしれないが。

 

ドンガラドンガラ、

燃えながらドラム缶は

バラバラに砕け散りながら、

ドンガラドンガラガッカ

ドンガラガ〜

もう、止めなきゃあ〜


ドンガラドンガラ

 

ドンガラドンガラ、

破れたドラム缶が、ドンガラガッガ

ドンガラガ〜、

グルグルと坂を転げ落ちる…

 

最近、失言で復興大臣辞任に追い込まれ、

有名になってしまった政治家。

言葉尻をとらえすぎ、という議員もいるそうだが、

この人の発言は、やはり底が相当浅い感じがする。

 

もっと腰の据わって、見識も深い人が

復興事業の全指揮を、颯爽と、創意を持って、

天使のように大胆に、悪魔のように繊細に、

取ることはできないのだろうか。

 

そもそも、下につく

役人は有能な大臣は扱いにくくて嫌いだそうだ。

しかし、役人主導の

復興計画は、どうも被災地の声とズレて

進んでいるように思える。

復興事業の遅れで、

誰も住めなくなったゴーストタウンの傍らに、

大きな堤防をどんどんこしらえたり、

除去した汚染土を処分できずに山積みしたり。

 

今回の騒動で、この元大臣の経歴を

ウィキペデアで見たが、

一番驚いたのは彼の軌跡ではなく、

彼が第6代の復興大臣ということだ。

年に1回大臣が変わっている。

このポストは、特別にもっと任期が長くていい気がする。

任期が短いと、首尾一貫した政治力が発揮できないからだ。

もともとどの大臣ポストも、

誰がやってもかわらないのかもしれないが。

 

ドンガラドンガラ、

燃えながらドラム缶は

バラバラに砕け散りながら、

ドンガラドンガラガッカ

ドンガラガ〜

もう、止めなきゃあ〜


リアル献立

 

自炊コストを下げることを計画。

まず、千円の食材でどれだけ持つか、試すことにした。

豚肉、キャベツ、ジャガイモ、玉ねぎ、みそ汁「ひるげ」を

そろえる。

 

万能の食材であり、鍋、炒め物、煮物など

多様に使える。

 

今回、新しく取り入れたのは、インスタント味噌汁。

ごくたまに味噌汁をつくっていたが、

食べきれずにいることが多く、腐らせてしまうからだ。

 

 


エアー天ぷらそば

 

天ぷらそばが好きだ。

しかし、店で食べると高すぎる。

700円も800円もする。

 

駅にある立ち食いでも、

何も入れないそばにして、300円前後。

これではものたりない。

 

スーパーの200円のそばを湯がき、

380円の天ぷらセットをのせ、

100円ほどの汁に入れれば、安上がり…

というほどでもない。

天ぷらがベチャベチャして今一つだし。

 

そこでエアー天ぷらそばを描いてみた。

究極の場で食べていると思い浮かべれば、

贅沢感が増すというものだ。

 

自分はどこかの星を開拓に行く宇宙船に乗って、

今レトルトの天ぷらそばを食べようとしている。

他の乗組員は違う星々の出身者で、

天ぷらそばをけったいなものとして

遠巻きに眺めている。

ああ、この味、この歯ごたえ。

やっぱりころもはベチャベチャしているが、

天ぷらそばには変わりない!

地球の味、わが先祖が生きた日本の味…。

…涙が止まらない…。

ああ、君たちが、この芸術的な組み合わせの

妙味を味わえないとは残念なことだ。

なに?ズルズルとうるさい?

 

 

 

 


エアービフテキと原爆

 

北朝鮮の核実験、やるかやらないかで緊張が高まっている。

いずれにせよ、近い将来、このアブなかっかしい国は、

核を持つことになる。

本当に日本へぶっぱなすかもしれない。

 

ユーチューブに流れていた一昨日放映のテレビ番組で、

核シェルターを備えたマンションを取材していた。

オーナーの自腹でつくったものだ。

コンクリートの部屋で70人が収容できる。

空気清浄器が、放射能に汚染された外気をろ過して

部屋に入れる。

食料などの備蓄も一週間分あるという。

しかし、核シェルターで原爆を生き延びても、

外に出れないほど地上が汚染されていたらどうするのだ。

そもそも、国や社会が壊滅していたらどうするのだ。

備蓄なんて、すぐになくなる。

 

核の被害を受けたときの想定なんて、

まるで無いままに、社会が動いてるのが怖い。

そもそも、原発が爆発した際の避難計画さえ

無きに等しいのだから。

 

もし、原爆投下の際、偶然

地下鉄にいて生き延びられたらどうするか。

避難中の無為な時間を、上のような絵を描いて、

飢えを紛らわせるのもいいかもしれない。

それには、普段から絵具セットと

ペットボトルを持ち歩かないといけないな。

 

ただし、その際、

絵具を溶かす水がもったいないかもしれない。

飲める水こそ、千金の値になるだろうから。

そうだ、頭の中で、エアーな絵を描こう。

 

 


女流筆剣士「篠田桃紅」

 

美術漫遊2/

 

先日、友人と、三鷹で滝平二郎を見た後、

港区にある「菊池寛美記念 智美術館」に足を運び、

「篠田桃紅 昔日の彼方に」を見る。

 

篠田桃紅の作品のベースは書道だが、

大胆に美の世界に遊ぶうち、

こうなっていったという感じもする。

 

解説を読んでいくと、

古今集の大スターで平安時代のプレイボーイ

在原業平が詠んだ

「竜田川 からくれなゐに…」の句を

着想にしている作品が3作ぐらいあった。

 

雅な美意識を

鋭敏な感覚で怖いくらいに洗練させていったのが

篠田桃紅の世界のように思える。

「花」の字も「月」の字も、とんがるだけとんがって、

銀箔や薄墨の背景にふわり漂わせられている。

どこまでも野暮な自分には、

絶対行きつけない境地である。

 

この作家の若いころの写真を見ると、

細身に着物をきりっとまいて、

大小数本の筆を両手にまるで刀のように持っていた。

一見上品な婦人だが、

気迫漂わせる女流剣豪のたたずまいがする。

 

生活にもビシッとした美意識が貫かれているのだなと思う。

パンフレットを覗くと、

住まいは日本家屋で、無駄なものが一切ない。

 

本当の「遊び」には、

集中力がいる。

 

 


滝平二郎の源流を見た

 

友人との美術漫遊で、三鷹市美術ギャラリーで開催中の

「滝平二郎の世界展」を見る。

滝平二郎とは、絵本『モチモチの木』を描いた画家だ

と言うと、たいていの人は「ああ」となるだろう。

その幻想的で愛らしい切り絵作品は、

子どものころに親しんだもの。

 

今回の展示会では、滝平の初期の作品から並べられており、

この画家の骨格が分かった気がした。

農村に働く女性のどっしりとした体、

節くれだった手が強烈だ。

汗臭くたくましいけど、気品が漂う。

プロレタリアアートを地でやっていたわけだ。

上はその絵の、「イメージ的下手くそスケッチ」。

とても真似できないので、枠だけなぞってみた。

 

滝平は、徴兵もされていて、沖縄戦に放り込まれている。

粗末なケント紙?に描いたペン画の

『戦争敗走記』は鬼気迫り、大岡昇平の『野火』

さながらだ。

 

高度経済成長のときの壮年期には、

ベトナム戦争を、太いタッチで表現している。

荒縄に後ろ手をくくられたベトナム女性、

死んだ子をぐったり抱く母の絵が痛々しい。

 

滝平は、時代と深く切り結んだ画家だった。

それを知って、以後に展開される切り絵が、

またがらりと新鮮に見えてくる。

澄み切った童話的世界の中核には、

生活も悲惨もとことん味わいつくした

「ゆるぎなき魂」が

ゴーゴー燃えている。

 


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