魔の123

 

月一の老人ホームの絵手紙講座をやるために、

渋谷に行く。

講座は二時間程度で問題ないが、

その行きかえりでぐったりしてしまった。

 

1  強烈な日差しとモワモワ湿気につつまれる。

2  滝のごとく汗をザーザー流す。

3  電車や施設内の冷房で体を冷やす。

 

この123123の繰り返して、

全身がだるくなり、思考力がなくなる。

一晩寝ても、どうも疲れが取れない。

 

道中、道路工事や建設現場で働く人を見るが、

なんと過酷だと思う。

ただ行き帰るだけで脱力する炎天下に、

体を動かし働くとは!

尊敬の念。

 

 


いい夢、見よう

 

悪夢を吉夢に転じてくれる観音さま。


猛烈、夏

 

朝やでかける前、

ベランダのガラス戸をガラリと開けて、

手を外気につっこむのが習慣になる。

どれくらい暑いか、調べるためだ。

 

この一週間は、モワモワベタベタという感触。

いつも「うわっ! バンコクかっ!」と、

つっこみを入れる。

「ヤンゴン」「パプア」と言ってもよい。

もう熱帯地域やないかと。

 

道ゆけば、5分で汗だく。

勤め人の白シャツ姿が少々味気ない。

みんな原色華やかなアロハシャツ、

サンダルで過ごすがよい。

オフィスがきっとくつろぐだろう。

 

家に帰れば、されに汗が噴出。

服はドボトボに。

水のシャワーは、水道管の過熱から温泉みたい。

それでもすぐに冷えた水が心地よい。

川で行水しているみたいだ。

さっぱり。

ビールを飲みたくなる。

でも、がまんしよう。

昼だから。

 

 

 

 


天上界の旋律

 

カーペンターズの曲といえば、

喫茶店でよくかかってたりする。

小学生の頃は、先生で好きな人がいたのか、

お昼休みの学校で必ず流されていた。

だから、その旋律は原体験としても体にしみついている。

 

彼女の歌声は、どこか神秘的で、

何度聞いても不思議な感じがする。

あきるということがない。

なんなのだろうと思っていると、

「祈り」という曲を知ってこういうことかと

腑に落ちる。

 

カーペタンーズのバックボーンに

やはり「宗教」があるのだなと。

神、永遠に捧げる敬虔な想い、

が歌声の芯に通っている。

だからずつと新しい。

 

自分は宗教教団には何の感慨もないが、

宗教的感情は心にはっきりとある。

それは、たいていこのような

音楽から湧き出てくる。

 

世界は、宇宙は、旋律からできている。

それは、じっと自分の中に

心の耳をかたむければ

感じることができる。

 

では、カーペンターズの「祈り」をどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=naSZH-2oVko

 

 


ペットがいやな目つきでしゃべり出す

 

絵本をよむ3/

 

ペトラ・マザーズ作(今江祥智・遠藤育枝訳)の

絵本『ぼくのお気に入り 

バルビーニさんちのセオドアくんの話』より。

 

ペットのセオドアくんが、急にしゃべり出して

愕然とするバルビーニさん。

セオドアくんはまさに「いやな目つき」で上のセリフを吐いた。

 

バルビーニさんは、これまでセオドアくんと

気が合っていると思い幸せだったが、実はそうではなかった。

セオドアくんはどんどん意思表示をするにしたがって

フランス料理を調理するのが好きな粋人(粋犬)で、

バルビーニさんとまるで趣味の違うことが判明していく。

心優しきバルビーニさんは、彼の意志を尊重しつつも

気に病んでしまう。幸福な生活は壊れてしまったと。

 

ペットは主人と合わないが、

話せないから我慢しているだけかもしれないということを、

ペット好きの人は一度考えてみてもいい。

と思う反面、言葉って恐いなと思う。

内面の意思が外にあふれて、「自分」を相手にさらしてしまうからだ。

内面を持つ相手は、それにまた影響されてしまう。

独立した人格同士が、機嫌よく共存することは大変だ。

 

ストーリーでは、セオドアくんの行動がきっかけになって、

バルビーニさんは、内気な犬のジョセフィーヌと出会い

なかよしになる。互いの地味な性格が合うのだ。

セオドアくんは、ジョセフィーヌのご主人でフランス語教師の

マダム・プーレと意気投合。両者ともに外交的で派手好き。

そして2組のカップルは入れ替わる。

 

バルビーニさんがジョセフィーヌを見るまなざしがいい。

「ああ、やっとしっくりくるパートナーと出会った」

という喜びと安らぎがじんわり出ている。

ペットが人のパートナーに昇格しているのが絵本的。

また人をパートナーにできない人の孤独感も漂いながら

なぜかユーモラス。こんなのもありだねと。

 

 

 


ナイアガラの女王

 

絵本をよむ2/

 

「絵本の魔術師」といわれる

クリス・ヴァン・オールズバーグの『ナイアガラの女王』も

かなりシュールな作品だ。

 

未亡人62歳の教師アニー・テイラーが、

自営の学校が流行らなくなり、老後の生活を思いつめる。

今更、店員や掃除婦をやるにもプライドがある。

そこで思いついたのが、

ナイアガラの滝を、樽に入って下り、

有名になって金持ちになろうとのこと。

ムチャクチャな発想である。

そして、それを実際にやってのけた!

しかも、この話は20世紀初頭にあった実話である。

(ただアーニーは金持ちにはなれなかった。

そこのところも、絵本はユーモラスに描いている)。

 

オールズバーグは、幻想的なビジョンを、

淡彩でリアルな描写によって現実化していく作家だ。

『ナイアガラ』は、いつもとは逆に、

「現実」の中の「幻想性」を具体化している。

樽の中に入ってナイアガラを下るという

いい歳をした淑女の試みの中に、

現実を幻想にする魔術を、オールズバーグは察知したのである。

 

ラストページがふるっている。

おばさまアニー・テイラーと樽のセピア調写真が

紹介されている。

やはり本当の話なんだと思うと、愉快である。

しかも、彼女のあとに続き「滝下り」して成功した面々の

名前を4行書き入れている。

だが、唯一の女性は、最初にやってのけた

アニー・テイラーその人。

 

こうした無謀の人がいて、

またそれを芸術的に表現してしまう人がいるのは

アメリカの面白いところ。

 

 

 


後ろ姿の風格

 

絵本をよむ1/

 

絵本を図書館からめくらめっぽう借り出しては、

猛烈に読んでいる。

周期的に訪れる発作のようなものだ。

 

書道家・乾千恵の『月人石』(福音館書店)を再読。

やはりいい本だ。

「絵本」というより写真集だが、

彼女の書を「絵」ととらえれば絵本である。

左ページが書で、右ページが写真家・川島敏生のイメージ写真となる。

写真右端に、詩人・谷川俊太郎の文が入る。

実に贅沢なつくりの絵本。

 

書は、扉・猫・風・音・馬・影・水・石・火・山・蟻・月・人の

12文字が1文字1ページずつ。

字の形態が写真と響きあって楽しい。

詩がピシリと入り、作品世界を深くする。

 

書は、ふくいくというか、

心の水量がたっぷり豊かというような。

「水」なんて字は、太い水がドボトボうねってるよう。

「音」は、太鼓の写真とかけあって、バチバチ鳴っている。

「山」は、「かなしみを うけとめている しずかなやま」の

詩が泣ける。写真は優しいなだらかな、まさに日本原風景の山。

書の山がまた「うけとめてくれる」大きな器みたい。

 

「人」の写真は、当初、写真家のイメージでは赤ちゃんだった。

それを詩人が、書道家の後ろ姿にしようと提案。

人の風格は後ろ姿に現れる、とするからだ。

乾さんは障害のある人らしいが、

書の「人」と響いてとてもいい姿に映ってる。

この人のうねった体そのものが、水墨の文字に見えてくる。

赤ちゃんより断然いい。

赤ちゃんは「白紙」であり風格は出ない。

この写真で、この絵本は名作になった。

詩人の直観は鋭いのだ。

 

おススメの絵本。

どこの図書館にも置いているはず。

 


被災と公的支援

 

ネットニュースを見ていると

西日本豪雨の被害が意外に大きくて驚く。

 

今年は地震に洪水に災害がたて続けにくる。

日本のどこに住んでも逃げ場はないように

思えてくる。

 

不合理な計画である国立競技場や豊洲市場に

千億円単位の金が使われているが、

この金を万人単位の被災者に支援金として支給すれば

千万円単位になり、よほど有意義な使い方かと。

被災者はその資金で、住居をつくったり修繕したりするわけで、

建築系の仕事が膨大に生じる。

これを公共事業と位置づけ、公的資金を投入することは

理にかなっているのではないか。

 

破壊された街が復興出来ないないでいると、

その経済的損失ははかりしれない。

という以上に、

被災すれば手厚い支援を受けることができるシステムは

すべての国民に限りない安心感を与えるはず。


南国の味覚

 

7月上旬にして気温30度超え。

それを意識したわけではないが

30度の琉球泡盛を買う。

 

口当たりは淡く、飲みやすい。

南国の海が見えてくる。

暑いところの酒は、

暑いところで飲むとうまい。

 

最近、タイ料理やインド料理といった

辛いものがやたらとほしくなるが、

暑いところに住む人間の生理を研究して

出来上がってきたものだからか。

 

 


近所を歩く

 

サンダルを履いて散歩すると、

とても気持ちがいい。

 

暑い日々、靴と靴下はただいたずらに足を締め付ける。

耐え難い。

それがサンダルだと、足の指やかかとが野放図に

外に放り出されてリラックス。

裸足はいい、本当にいい。

 

少々歩きにくいので、歩くスピードも遅くなる。

背すじを伸ばして、アフリカの女性みたいに

ゆったり足を運んでみる。

 

夏の入道雲がモコモコわき、

その手前を薄い雲が横に飛んでいく。

 

頭の中のぼんやりした考えが、

ペタペタいうサンダルの音で、

ゆらゆら下に落ちて積み重なっていく。

 

ただ、背中がいたい。

相当に凝っている。

ガチガチだ。

 


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