幸せ夫婦

 

夕闇の歩道で、

二人して目の見えない夫婦が歩いていた。

旦那さんがブンブン大きく杖を振り進む。

確信的なプロの振り方である。歩幅も大きい。

奥さんの方は、杖を軽く振り足元を確認するだけで、

道行きの全権を前にゆだねているよう。

夫婦は何やら話し、笑い合っていた。

二人の視界は、晴れ上がった空。

 

 

 

 

 


心を外に向けよ!

 

本年、二冊目の『幸福論』読了。

あの名高きバーランド・ラッセルの本だ。

彼は、快楽主義者で無神論者を公言したイギリスの哲学者である。

ヨーロッパ文化圏で「神を信じず」と言うのは、

とてつもなく勇気あり。

 

ラッセルがキリスト教を棄教したのは、なんと少年のころだ。

当初は神を信じたが、合理的に考えを詰めていくと

信じるに足りずと悟ったという。

「原罪」なんかあるものかと。

 

ラッセルは『プリンピキア・マテマティカ』を書いて

記号論理学を打ち立てた数学者でもある。

だから、その幸福論は、論理的にスッキリ明解だ。

 

ざっくり言えば、

まず、自己にのめりこむなとのこと。

嫉妬だの怒りだの自己卑下などの否定的な感情が

わいてくるからだ。

それらをバッサリ処分するには、

心を外に向け、社会とかかわり、

建設的な仕事をしろとする。

なにより、自分の幸福をまずしっかり築くこと。

この基盤をがっちりつくってこそ、

自己と社会のかかわり、

そして人生が充実してくるのだ。

この世でぞんぶんに力を出し切って

「人」であることを超えてけ!

と背中を押してくれる。

 


舌が「塩湖」に

 

今現在の身体感覚を表現してみた。

 

どうも体中が塩辛い。

昨夜、顆粒のだしを使った味噌汁が、

えらく辛かったが無理して飲んだ。

すると就寝後に、のどが渇いて何度も起きる。

水をクビクビ飲んではトイレに駆け込む。

 

朝起きて後も、なんだか舌が塩辛い。

舌の真ん中から同心円状に、

塩辛い味覚が広がってくる。

胸がすっぱい。

頭頂の神経の数本が、

遠雷がズ〜ンと響くように、

仄かに疼く。

 

これは糖尿病の気あり。

塩気のないものをとって、

体液を薄めなければならない…。


平安貴公子はルンルンか?

 

平安貴族の家族形態のくだりを読んでると、

それはそれで合理的だなぁと思う。

 

基本的には婿入り婚。

男は、妻の家に通うことで「夫」「婿」とみなされる。

複数の妻を持つことはOK。

一方、妻の方も、複数の夫を持てる。

「不倫」「浮気」は法的には存在しない。

 

男が若いうちは、妻の両親が経済支援してくれる。

また、できた子供は、妻の両親が全面的に面倒を見てくれる。

産みっぱなしでよいわけだ。

男が妻の元に通わなくなったら、その家の縁は自然消滅。

 

浮気性の男にとっては、理想的な家族システムだなと思う。

しかも、年をとれば、娘側の祖父として家庭に君臨できる。

妻の方は、嫉妬をかきたてられるシステムで

精神衛生上よろしくない。

しかし、生活の保障と子どもの養育権は手堅くある。

 

でも、源氏物語を見てみれば、

女側のストレスは、家にしばられること相当にきつそうである。

男側も、種馬の一生のようで、どこかはかない。

 

 

 

 


まいった…

 

完全に凪。

そよとも動かず…。

 

 


生きている存在

 

夢。

幼い女の子が、自分の膝の上に座っている。

彼女の重さをリアルに感じている。

上の黒いものは、動物だ。

犬だろうか。

生きている存在と触れ、

心和む。

 

 


夢が告知する「大発見」

「これは、大発見だ!」と、

夢の中で何度も何度も確信している。

見る方向が違えば、

太陽の動き方がそれぞれ違うということを。

 

目覚めてしまうと、

何を興奮していたのだろうと思う。

 

しかし、幼い頃、

なかなか「右」と「左」が理解できなかった。

お茶碗を持つ手を「左」だと教えられるが、

その時、「右」だった手に茶碗を持ちかえれば、

たちまち「左」になってしまうのではないかと考えた。

また、横に並んでいた時は相手と右左が同じだったのに、

いざ向かい合うと相手の右左が、

自分の右左と逆になることもなども、

混乱の度を深めさせた。

右左は「自分」を起点にして判断するものと

納得できたのは小学校に入ってからだったろうか。

右左の理解は、自分にとって、とても難しかった。

 

位置によって見方が変わる、というのは、

実は「大発見」なのではないかと、

夢が改めて教えてくれたのかもしれない。

 

ちなみに南半球の人は、

北半球の人と太陽の動きが

逆転しているということになるのか。

と、すれば、

北半球人の自分が南半球に住めば、

相当な違和感を味わうのだろう。

 

 


水を知る料理人の文

 

いい本に出会う。

辻嘉一の『味覚三昧』(中公文庫)だ。

懐石料理人が書いた、食についての随筆集である。

日本中の美味を、古今の文献とからめて談じている。

料理人のプロの味覚と技に裏打ちされた食についての

文章は的確で無駄なし。

清潔な文章とはこういうものかと思う。

そこらの食通家、料理人の文と違うのは、

散見する兵隊の体験記である。

とくに極限状態で水に渇いたときの記載が鮮烈。

水を見つけて無我夢中で飲む。

飲んで「命」を得たという。

飢えを、飢餓を身をもって知る人の「食」は深い。

 

 


コスト高の簡単料理

 

ユーチューブで解説していた

ヒーマンのベーコン巻きをやってみる。

ピーマンの真ん中に、とろけるチーズを

入れるのがワンポイント。

 

つくりかたは簡単で、

竹串を刺し、フライパンで数分焼くだけ。

 

ビールを飲みながら美味しく食べたが、

焼くときの竹串が余って処分に困った。

食材と竹串で、結構費用かかる。

 


「食う」は、テーマになるか?

 

ライターとして突出できるテーマは何かと、

ずっと考えてきた。

自分には、これといった専門が、いまだにない。

ライター生命には限りがある。

もういい加減、決めなければならない。

 

最近、ぼんやりだが、

ずっとこだわっていることがあることに気づく。

「食う」ということだ。

食通としてではない。

あの味のここが究極にこうだ、

と評するような鋭敏な味覚は持ち合わせていない。

「食う」こと、そのものの行為に興味がある。

これは若い頃からだ。

 

人にとって「食う」とはどういうことか。

ざっくりいえば、

他者の命を殺して自分に取り込み、

生きながらえることである。

この根源的なことを見据えながら、

「食う」ことについて書けないか。

 

そのテーマについてヒントになる手持ちの本が

何冊かある。

『もの食う人ひど』辺見庸。

『仰臥漫録』正岡子規。

『味覚三昧』辻嘉一。

『よだかの星』宮沢賢治。 

『森の食べ方』内堀基光。

とりあえずのリストアップだ。

 

さらに知りたいこと。

「アメーバーの食」について。

「生物の歯の進化史」について。

「食育」について。

「孤食」について。

「美食」について。

「拒食症・過食症」について。

「幸福な食」について。

「宗教と食」について。

「食のコーディネーター」について。

「長寿地域の食と歯」について。

「縄文人の食」について。

「宇宙食」について。

「飢え」について。

「フードファイターの食」について。

「胃ろう」について。

 

う〜ん、広すぎる。

しかし、多角的に眺めてみて、

「根源的食」の姿が、ポンと出てこないか。

 


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